2014年12月18日の《宮脇昭さんと緑の防潮堤》で、宮脇さんが主催するグループが植樹した常緑広葉樹の苗木の半数ほどが枯れてしまう被害にあってしまい、海岸林の樹種について再検討されるまでになったと、ネット上に置かれている過去記事を元にその間の詳細を報告しましたが、同時にいわゆる宮脇昭さんが推奨する《潜在自然植生》による植樹法への批判コンテンツも見つかり、幾つかを読むことができました。
今日は、これら宮脇理論批判のなかでも興味深かった次の二つを取り上げてみたいと思います。
この二つは、両方とも鹿糠耕治さんという方が2004年の6月(上)と11月(下)にウェブサイトに発表されたものです。何ぶん10年ほど以前のものですから、311を経験した今とは状況がまったく違っていて、従って焦点の当て方にも少しズレが感じられる部分もあるのですが、いわゆる宮脇理論でもって、ビジネスの手法を使い丹沢の森を再生することを考えている私にとっては、なるほど、そういうバリエーションもありますか!と感心させられるような、なかなか示唆に富む内容を含んでいるようです。
一番目の《宮脇理論批判 第1回:「宮脇理論の矛盾」について》は、日本一美味しいと言われている青森市の水道の集水域である八甲田山麓北側の横内水源林で始まったブナの植林事業に反対する「青森の自然環境を考える会」ウェブサイトに掲載されたものです。何故ブナ植林と言う耳に聞こえの良い事業にno!を唱えるのかといえば「すでに水源涵養機能を有している健全に成長した約30年生のミズナラ主体林を相当割合伐採する施業を伴っていることが判明した」からであり、「この自然林の伐採と、科学的にブナ植林の必然性が無いという意味での経済的無駄について指摘し、本事業の見直しを求めてきた」にもかかわらず、事業主体の青森市は事業変更の考えはないことが問題だという訳です。
次に、ここで何故、宮脇批判が出て来るのかと言えば、この問題ついてのシンポジウムでパネリストとして参加された宮脇さんが「ブナは陰樹だから強い。ミズナラはニセモノ」という断定をしており「論拠不十分なまま断定するのでは科学とは言えずもはや宗教の世界である」と怒り心頭の様子で、ミズナラだって大自然の摂理のなかで立派な存在理由があることを、宮脇理論の批判を通して主張したかったようなのです。
しかし、宮脇さんは本当に「ミズナラはニセモノ」と切って捨てているのでしょうか。引用した上記サイトにはシンポジウムでの発言録が載っており、これを読んでみても宮脇さんは少なくともニセモノ発言はしていません。加えてブナが主木であるべきだが、それはその場その場の植生や土壌の環境によって樹種も変わって来る。「何でもブナ、ブナの宣伝は行き過ぎです」とまで言っています。が、鹿糠さんはきっとこれに次に続く言葉「従って、どこにでもブナを植えればいいというものでもない。立派に育ったミズナラを伐採してまでブナの植樹をするのは、壮大なムダでしかない。数百年後には自然遷移により、今のミズナラの森もどうせブナ林になるのだから」という一言がなかったことにご立腹のようなのです。
そして、宮脇さんが流通大手のイオンとタイアップして進めている青森県内の《イオンの森》批判へと移ります。この《イオンの森》植樹事業は、私が考える全国の都市空間・生活空間に多層群落で構成される潜在自然植生の森を作る構想に大きく関係してくるので、私には興味深く思われ、「宮脇理論による県内での造林の実態 」と題されたブロック全文を以下に引用してみます。
そしてその宮脇理論による青森県内での実態だが、各地のイオン(eon,aeon:無限にながい期間・永遠)の森に見ることが出来る。最も実施の古いイオン柏ショッピングセンター(西津軽郡)での実施例は成功しているとは言いがたい。是非ご覧になっていただきたい。
宮脇理論の手法として、始めから極相林を目指すために、当初から高木候補、亜高木候補、 低木、潅木のポット苗が混ぜて密に植えられる。低木や潅木は最初から日当たりがよいので非常に成長が良いが、高木候補、亜高木候補の成長は悪い。繁茂した低木や潅木が高木 候補の成長を阻害しているのだ。本来低木や潅木は、自然の遷移によって成立した林のな かでも生育できる耐陰性の強いものか、林の縁の明るい部分でいわゆる袖群落を作るも のなのだ。
結果としてイオンの森はほとんどが藪と化している。宮脇理論による「最強の手入れ不要の極相林」は場所を選ぶのだろう。当地ではうまく働いていない。
宮脇さん方式の最大の特長である「昆植・密植」がうまくいっていない、と言うよりも、むしろ高木・亜高木・低木・草木のポット苗を一度に混ぜて密に植栽したために、成長の早い低木・草木の勢いが高木・亜高木のそれを阻害している。結果として森となるべきものが薮化している!と《イオンの森》の実情が批判的に紹介されています。(更に詳しい情報は鹿糠さんの2番目のコンテンツ《イオンの森批判》でたっぷりと読むことができるので、そこで再度考えてみます。)そして最後に、宮脇理論は「更地に新たな擬似生態系を作る必要がある場合は意味を持つが、横内水源林のように、生態系ができている自然が強い場所では、擬似生態系によるニセモノ作りに陥る危険 がある」と鹿糠さんからバッサリと断罪されていると言う訳です。
このように、鹿糠さんは宮脇式潜在自然植生の森を作る手法を擬似生態系=ニセモノと捉えているようですが、このシンポジウムでの宮脇さんの冒頭の発言のように「緑に対しては十人十色、百人百色」ですから、こういった見方も認めなければと思います。実は、私の関心はそこにはなくて、注目したのは「更地に新たな擬似生態系を作る必要がある場合は(宮脇理論が)意味を持つ」という所です。つまり、全国の都市空間・生活空間に多層群落で構成される潜在自然植生の森を作るには、宮脇理論はgoodな手法であると、宮脇理論批判者である鹿糠さんも認めているようなのです。では、店舗をオープンする度に更地に植樹をし、《イオンの森》という現代版鎮守の森を全国に作ろうとする活動は、青森県では何故うまく行っていないのでしょうか。
※《宮脇理論批判 第1回:「宮脇理論の矛盾」について》の第2回以降はアップされていないのか、は見当たらないようです。
《イオンの森批判》に続きます。