この正月はこれまでと少し違った《樹木のことを考える》視線を持って、代々木の杜まで初詣に行って来ました。「先人たちが知恵を絞ってつくった人工の森の世界最高傑作のひとつ」 (宮脇昭著『森の力 植物生態学者の理論と実践』講談社現代新書 p173)として80年ほど前に創建されたこの森は、《奇跡の森》とも言われ、この季節でも常緑広葉樹の鬱蒼とした緑で全体が悠然と覆われています。主木であるシイやカシなどの常緑広葉樹の大木はおよそ4〜5mほどの間隔で立ち並び、参道に面した木立のなかには、参拝者の邪魔にならないよう枝を打ち落とされて痛々しい姿を見せるものもあるのですが、参道から一歩奥まったそれ以外の所は人の手が入っていないのか、林床は常緑広葉樹の落ち葉で埋め尽くされ、人の目を楽しませるような美しい樹木もあえて配置されず、私たちはまるで自然の森の側を歩き、眺めているかのようです。
この森の設計者は全国の神社林や公園など、新しくつくる神社林の参考になるようなモデルを求めて探し歩いたようですが、ヒントになったのは仁徳天皇陵(大阪府堺市)。建設以来堀に囲まれていることなどから人の手がまったく入らず、文字通り自然任せにしたために、今日では豊かな生態系に育まれた鬱蒼とした天然林に覆われている、この代表的な前方後円墳に拡がる自然をモデルにした森の設計に取りかかったそうです。
ここで興味深い話しをひとつ。ところが、当時の総理大臣大隈重信から、新しい神社林は日光の山にあるようなスギやヒノキの見た目にも美しい樹木にするようにと、横ヤリが入ったと言うのです。この大隈の申し入れは無知ほど怖いものはないと言う代表例みたいなものですが、仮に代々木の杜70万㎡におよぶ広大な敷地にスギ・ヒノキの人工林をつくったとしたら、今頃どうなっていたでしょうか。途方もない人工林の維持・管理費に悩まされているか、それよりも1945年の大空襲で消失してしまっているか、それとも高層ビルが建ち並ぶダウンタウンに様変わりしているか、いずれにしても写真のような景観は見ることはできなさそうです。
あるテレビ番組で明治神宮の森の管理者が次のようなことを話していたのがとても印象的でした。「管理をすればするほど、代々木の杜のような森はやせる。放置すればするほど、森は豊かになる。つまり森のなかに立ち入らないほうが、森は成長する。」のだと。
続けて「最初からこの地にあったアカマツや植栽したヒノキは、今では常緑広葉樹との競争に負けて衰退する途上にある。広葉樹は上を目指して伸び続け、枝も拡がっているが、スギ・ヒノキなどの針葉樹は先端が丸くなって成長が止まり、枝も枯れ上がってきている。やがてこれらの多くは枯死し、朽ちてくるであろう。その瞬間、陽が当たりはじめたその場所には、今まで我慢していたカシなどの常緑広葉樹の幼木が伸び出して来る」と森の成長と循環を説明していました。
明治神宮の森の管理者のこのような話しは(少なくとも、関東地方の標高800m以下の地域では)常緑広葉樹を主木とする潜在自然植生の多層群落の森をつくる宮脇さんの考えと通底しているようにも思え、いわゆる《ホンモノの森》の管理の在り方をも示唆しているのです。