人と自然の共生のために何ができるか

これが一年前だったら、おそらく眼を通さないか、読んだにしても「なるほど、なるほど、そういうことなんだ」と簡単に納得して終わってしまったに違いありません。今日の朝日新聞の科学(23)面に掲載された《2015「国民参加の森林(もり)づくり」シンポジウム》についての報告記事のことです。

※右の写真はそのシンポジウムのチラシ。また上の「報告記事」をクリックすると、記事のpdfファイルが別タブで開きます。

このシンポジウムは国土緑化推進機構・京都府・京都モデルフォレスト協会・森林文化協会そして朝日新聞社の主催によるもので、今日の備忘録のタイトル《人と自然の共生のために何ができるか》という大きな課題を掲げ、この課題の解決のために森の保全を産学民公で推進して行きましょう、というもの。以下、朝日新聞の記事に沿ってシンポジウムの様子と内容を具体的に見てみましょう。

樹木の成長スペースに人間社会をあわせよ

まず作家の池澤夏樹さんが基調講演で、上の太字の見出しのようなことを文明論的な視点から説いています。少し脇道に逸れますが、池澤さんは最近は作家としての仕事を続けながら、編集者としてもなかなか面白いことをやられていて、特に池澤夏樹個人編集!と銘打った《世界文学全集》の編纂に関わり、これまでとは違ったユニークなアプローチで世界の名作&迷作をコレクションし刊行するという優れた業績を残しています。例えば、これまでの世界文学全集には、その中に日本の文学者を一人加えることなど、考えてみた形跡すらなかったのですが、池澤さんは世界に誇るに値する日本の作家として特に石牟礼道子さんを選び、彼女の代表作である『苦海浄土』三部作を一冊の中に納めるという快挙を実現しました。これでようやく日本文学も世界の仲間入りを果たすことができたと言う訳です。

ところで、シンポジウムでの池澤さんの言説は森をヒトにとって有用な資源の山と見ているのは今まで通りの常識の範囲内ですが、その利用スピードを樹木の成長速度に合わせようというもの。が、宮脇昭さんの本を読んできた私からすると、現実の課題に対して焦点がズレているような気がします。利用しようにももはや経済的価値がなくなったとして打ち捨てられ、荒れ放題になった人工林、同じように、かつては化学肥料&化石燃料がなかった時代だったから利用価値があった里山の雑木林の荒廃。これらの山を前にして、人びとは未来を切り開けないままに呆然とするしかないのが現状です。

森の力そこで、もし宮脇さんがこの場で基調講演するとなるとどんなことを発言されるでしょうか。宮脇さんの著作『森の力—植物生態学者の理論と実践』(講談社現代新書 2013年)という本の最終章にこの種のシンポジウムの基調講演にぴったりと思われる箇所があります。題して《エピローグ タブノキから眺める人間社会》(同書p182-p188)。

この本のなかで私の尊敬する植物生態学者は次のように書いています(すべて書き写すとなるとかなりの長文になるため以下に要約)。

20世紀は科学技術が花開き、おかげで私たちの生活もはるかに便利で快適になりました。‥‥‥‥しかし、20世紀末から21世紀にかけて、それは人間の傲りに過ぎなかったことがはっきりとわかってきたのではないでしょうか。世界に拡がる混乱、なかでも日本の原発の問題はその象徴だと思います。また日本の山の深刻な荒廃もその一つに入ります。ヒトは自然を科学技術で支配し利用し続けることなどできないことにそろそろ気付くべきではないでしょうか。経済的価値を失ってしまい管理放棄され、荒廃してしまった人工林、化学肥料と化石燃料が安く手に入るようになり、利用価値がなくなったと言って見放されてしまった里山の雑木林。これらの当面する問題に行政やボランティアの皆さんの力で管理と保全を続けることも必要でしょう。でも、土地本来の樹木を伐採して人間の生活に必要のために植えてきた人工の木々を守り続けるにはどうしても限界があります。一方ではその土地本来のふるさとの樹木が生育する森に戻すことも必要です。ふるさとの森だと、むしろヒトの手は不要な上に豊かな生態系までも自ら作り出してくれると言う訳です。ヒトが自然と共生するというのは、こういうことではないでしょうか。(以上、要約終わり)

以前はアカマツが多かった森がシイノキばかりになり、伝統的な景観が損ねられている

さて、上の見出しはパネリストとして登壇した京都府立大学副学長の発言です。ヒトの眼には確かにスギやヒノキ、マツなどヒトが育てた針葉樹の森が見せる絵になる景観のほうが気持ちよさそうです。宮脇さんの『森の力—植物生態学者の理論と実践』には、およそ百年前にも明治神宮の森の植樹をめぐって景観論争が繰り広げられたことが書かれています。当時の首相大隈重信が主張したいわゆる「マツ・スギ・ヒノキ信仰」のことです。

大隈はもっぱら見た目のカッコよさから、神宮の森は伊勢神宮や日光の杉並木のように荘厳で雄大な景観にすべきであると主張。対して神宮の森のデザインを担当した植生学者の本多静六・林学博士は《人為によらなくても末永く維持・再生することができ、煙害にも強く、神社にもふさわしいものとして》常緑広葉樹を選び、この最高権力者の主張に一歩も引かなかったとういから、りっぱなものです。このやり取りを紹介している文書には本多静六博士のその後の告白として、こんなことも書かれているそうです。

「もし神宮の森が、大隈公の意見を取り入れて、スギやヒノキのみでつくられていたら、どんなみじめな状態になったか、想像するだけで空恐ろしい気がします。」明治神宮社務所編『「明治神宮の森」の秘密』(小学館文庫)

では京都府立大学副学長が言うように何故《アカマツが多かった森がシイノキばかりに》なるのでしょうか。その答えを宮脇さんの本『森の力—植物生態学者の理論と実践』の中に見つけることができます。

本来、マツ、スギ、ヒノキなどの針葉樹は、常緑広葉樹のシイ、タブ、カシ類や山地の落葉(夏緑)広葉樹のブナ、ミズナラなどより競争力が弱いため、花崗岩の露出した尾根筋、岩場、水際などの自然条件が極端に厳しい土地に追いやられ、局地的に自生していただけでした。(p74)

それにしても、針葉樹の競争力が弱いという原因はどこにあるのでしょう。

生物の進化という視点からも見ていくと、現在、人間の活動下で大繁茂しているように見えるマツ、スギ、ヒノキなどの針葉樹は、ソテツやイチョウと同じように、シダ植物の次に出現した裸子植物であり、胚珠が露出している状態にあり‥‥‥‥数万年まえから約一万年前の最終氷期には日本列島でも大繁茂していました。しかし、現在は被子植物が主流の時代となっています。被子植物の胚芽は包まれています。包まれているために、環境の変化にも強くなったのでしょう。被子植物とは、樹木では葉の広い広葉樹が主で、照葉樹林域(常緑広葉樹林域)の主木であるシイ、タブ、カシ類が該当し、東北山地や北海道などの落葉(夏緑)広葉樹林域では、ミズナラ、ブナ、カエデ類などが該当します。
つまり、生物の進化という視点から見ても、マツ、スギ、ヒノキなどの針葉樹はいわば「過去の植物」です。シイ、タブ、カシ類やミズナラ、ブナ、カエデ類などの広葉樹に圧迫されて、尾根筋、岩場、水際などの厳しい立地に追いやられ、局地的に自生していたのです。(p143-p144)

これは、明治神宮の森でも実際に検証されたことですが、植樹時には半数近くあったマツ、スギ、ヒノキなどの針葉樹は、ヒトの手を入れずに森を自然の成長プロセスに任せた結果、百年後の現在はこれら針葉樹のほとんどが衰退してしまい、常緑広葉樹にとって替わられたようです。

かつてnhk地上波で放映された番組《明治神宮 不思議の森100年の大実験(may05,2015)》がこの森の変遷を丹念に追いかけており、森の植生に興味ある私には大変参考になりました。大隈との論争、針葉樹が照葉樹に駆逐されて行くプロセス、植物世界だけではなく、森の全体の豊穣な生態系の世界が東京の真ん中に拡がるようになったその訳まで掘り下げてみた優れた作品に仕上げられています。なお僭越ではありますが、この記念すべき番組を紹介した私の備忘録《手入れしないほど、森度は深くなる》でもその詳細を紹介しております。

なので京都府立大学副学長の嘆きはごもっともですが、管理放棄された針葉樹の森は広葉樹林にとって替わられる。これが自然の摂理であるとも言えます。諦めていただくしかありませんね。しかし、植物の進化という視点から「過去の植物」と見られるとはいえ、今日の日本の山地の半分以上を占める針葉樹の森はこれからどうすればいいのでしょうか。宮脇さんはマツ、スギ、ヒノキの活かし方として次のように言います。

私は針葉樹がすべてダメと言っている訳ではありません。‥‥‥針葉樹もよいものは残せばよいのです。下草刈り、枝打ち、間伐、除伐などの適正管理が確実に続けられるのであれば、これからも適地、適木に応じてマツ、スギ、ヒノキなどの針葉樹も必要だと思っています。
そもそも適地の範囲を超えて画一的に単植林(モノカルチャー)にされたところに問題が潜んでいるのです。マツ、スギ、ヒノキの本来の生育立地をはみだして大量に植えて、管理ができなくなっていることが問題なのです。‥‥‥これからは、なるべく自生していた土地に植え、持続的な適正管理を行ないながら、利用していくことを考えればよいのです。(p141-p142)

これでは、人工林はすべてアウト!ということになってしまいます。ですが、今日の森の問題はその多くが人工林の問題であり、問題の核心は人工林の適正管理ができなくなってしまったことにあります。管理しようにも管理できなくなった、山の地主が持て余している人工林はどうするのか。今まさに問われている最大で緊急の課題について宮脇さんは次のように提言しています。

いまある「マツ、スギ、ヒノキ」を生態学的に活かす方法もあります。将来、経済的にも対応できそうな立木はそのまま残します。一方で暴風などで倒れたり、間伐したマツ、スギ、ヒノキは焼いたりしないで、、そのまま斜面に対して横にして置いておけば、よい。そうすればそこに落ち葉もたまって、土壌が豊かになります。(p142)

と、ありますが、りっぱに成長し、木材商品として価値のありそうな針葉樹だけを残して空いてしまった林床はどうするのでしょうか。

その上で潜在自然植生に基づく「ふるさとの森」づくりを行なえば、、自ずと土地本来の森へと確実に戻るはずです。多様な防災・環境保全林の役割を果たし、観光資源にもなりうる地域固有の豊かな緑景観を形成するでしょう。大木になったマツ、スギ、ヒノキ、さらには広葉樹林も、慎重に択伐して利用すればよいのです。
マツ、スギ、ヒノキなどのその土地に合わない客員樹種は一度伐採すればまた植林しなければなりません。しかし、潜在自然植生に基づく土地本来の森は、択伐しても後継樹が待ち構えているので、新旧交代しながらも地域経済とも共生する多彩な機能を果たす多層群落の森の力をいつまでも持続します。(p143)

このように、宮脇さんの手法はまずは人工林を針広混合林に少しずつ替えながら育て、遅かれ早かれ広葉樹を主木とした潜在自然植生の森を作ることにあるようです。しかし、今や安価で輸入される外国産の木材に太刀打ちできない針葉樹です。大木になったからといってそれまでの管理コストに見合うだけの商品価値があるのか、何とも言えないところです。おまけに新たに植林する広葉樹林にしてもヒトの手が不要とは言え、管理は必要な訳ですから、これで林業が再生するとは思われませんね。

いずれにしても、人工林の未来は暗いのですが、何か新しい手法を見いださない限り宮脇さんの提案に頷く人を見つけるのも困難なようです。私たちは《何か新しい手法》をぜひとも発見しなければ一歩も前に進まないという訳です。

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