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手入れしないほど、森度は深くなる

先日may05にオンエアされたtv番組《明治神宮 不思議の森―100年の大実験》を大変興味深く観てしまいました。植樹後は人の手を入れずに自然まかせで放置してきたという、宮脇さんの手法をそのまま取り入れたような森の作り方を観てしまったような気がして、森の一作品としての観点からこの番組にについて、まとめてみます。

*nhkの番組はオンエア時に見逃しても《nhkオンデマンド》というnhkのインターネットサービス(有料)でいつでも視聴できます。


毎年、初詣は近くの神社で済ませているのですが、今年は久しぶりに明治神宮にも行ってきました。宮脇さんのいう「明治神宮は人工林の最高傑作の一つ=奇跡の 森」という言葉に触発され、もう一度この目でその実際を確かめておきたいという思いからですが、そして《奇跡の森で初詣》と、その 時の様子をこの備忘録にも記録しているのですが、その数日後にはタイミングよくnhkbsで《代々木の杜の物語~明治神宮》という番組を再放送してくれたおかげ で、この森の由来と概略を知ることができました。

以来この人の手を入れずに自然にまかせきりのまま百年ほど放置してきた森の存在は数少ない成功例として、植樹事業 の手法を使って丹沢の森の再生を夢想する私にとって気になる存在でもありました。特に植樹の詳細、何種類の樹種をどんな状態の苗木でどのくらいの配置と密度で植えたの か、をもっと詳しく知りたいと思ったのです。

ところが、先日nhkが《明治神宮 不思議の森―100年の大実験》という、神社よりも森のほうに焦点を当てたtv番組をオンエアしてくれ、上記の課題にも少し応えてくれました。そこで今日はこのtv番組の概要を、私の興味にあわせて紹介することにします。(以下の写真はtv番組からの転用です)

代々木の荒れ地に太古の原生林を再現するプラン

写真1-2明治神宮のはじまりは今から100年ほど前の1920年。この森は、当時はただの荒れ地だった70万haほどの広さの代々木の地に6年ほどをかけ て全国から約10万本の樹の寄進を受けて植樹した人工の森だそうで、森の立案者は、人の手をかけずに放置したままでも永遠に続く森をコンセプトに 置いたといいます。それは、大昔にはこの地に拡がっていた常緑広葉樹を中心にした原生林を現代に再現することでもありました。

150年後には原生 林のような常緑広葉樹の森にするために、自然界では数百年かかるプロセスを木々の配置を計画的に行なうことにより、わずか150年で完成させよう と目論んだ訳です。以来自然にゆだねられたまま植樹開始から100年ほど経過した今年2015年に、はたして期待通りに進んでいるのか、 10万本の樹はどうなったのか、そしてこの森の生態系もついでにテェックしてみましょうというのが、tv番組のテーマです。

予想を越えた速度で常緑広葉樹の森を実現

森の構想左の画面3)は森の設計者が予想した森の成長プロセス。植樹直後は緑色の比較的樹高のある針葉樹をメインに、その周囲に黄緑色の常緑広葉樹の幼木を配置しています。実際、全国から寄進された樹種はその半分がスギ・ヒノキ・マツなどの針葉樹で占められていたそうです。しかし50年後、100年後には針葉樹は常緑広葉樹との競争に破れ次第に枯死してゆき、150年経つ頃にはすっかり常緑広葉樹を主木とした太古の原生林が再現されると考えていました。

実際にはこの100年で針葉樹はほぼ駆逐されてしまい、常緑広葉樹の森になっている訳で、予想よりも50年早く森は進んだことになります。
植林風景この予想を越えた速度の原因の一つと思われるのは、左上の写真(画面4)に写っているように集められた樹木には成木が多く、実際これらの樹木の運搬には当時の原宿駅から専用の引き込み線が造林地まで敷かれ、人の手には余る大きな木々が貨車で運び込まれていたそうです。また、上の画面5は植樹を終えた造園直後の写真ですが、約12mの高さの鳥居に届くような木々も多く見かけられ、このことが150年たてば原生林のような常緑広葉樹を主木とした森になるという予想を50年前倒しにしてしまったように思えます。

手入れをしないでいると、競争に負けた針葉樹は枯死してしまう

樹木数の推移では、造林当初の10万本の樹木、なかでもその半数以上を占めていたスギ・ヒノキなどの針葉樹は、その主体が常緑広葉樹の森となった現在、どうなっているのでしょうか。樹木についての継続的な調査がこれまでに三回(1924/1934/1970)行われており、直径10cm以上の樹木の総数を調べ記録したのが、左のグラフです。

これをみると、植樹後の最初の10年間には 順調に生育していた10cm以上の樹木数はその後36年後の1970年の調査では、初期の樹木数以下にまで減少していることをこのグラフは示しています。そして今回の樹木調査ではその数が更に少なくなっていることがわかりました。100年前その5割を占めた針葉樹は1割以下に激減し、かわりに常緑広葉樹が全体の2/3にまで拡がっているのです。しかも過去の調査では一本もなかった直径1m以上の太い幹をもつ常緑広葉樹が250本近く見つかり、これらの木から地上に落下したドングリが芽をだした実生(木の赤ちゃん)が40万本も確認できたそうです。

以上、今回の樹木調査を含めて、これまでにわかった森の進化のプロセスを時系列にマトメてみると、次のようになります。

森の深度のプロセス
森度は深まっていく

森は、庭や公園の緑のように手入れもせず、肥料も与えないのに、自然に成長することが明治神宮の100年をかけた実験でわかってきました。一見すると自然に見える里山でさえ、実は人の手入れにより維持されていることを思うと、不思議な気持ちになりますが、実は太古の原生林がそうであったように、人の手をかけずに永遠とも思える時間を生きていくのが、ホンモノの森であることが見えてきました。しかも時間と共に森の深度は高まっていくのです。

番組の中で、明治神宮の方が次のように語っていたのが印象に残りました。

森は肥料も与えず、手入れもしないのに、実が落ちて、そこに次の世代の木が生まれる。
おじいちゃん、おばあちゃんの木があって、おとうさんやおかあさん、兄弟たちと、
親から子、孫へと木々はつながり、ますます森となって行く。

なお、宮脇さんの『森の力 植物生態学者の理論と実践』(講談社現代新書 2013 p174-175)によると、東京大空襲(1945)で明治神宮は大火に包まれ、本殿や社務所などは消失したものの、クスノキやシイ、カシ類が育っていたおかげで全焼をまぬがれたとあります。針葉樹に較べてシイ、タブ、カシ類などの常緑広葉樹は地震や津波、火事などの災害にも強いホンモノの樹木として、宮脇さんの書物にはその実例がたびたび記載されています。

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