今年の正月に運よく手に入れることができた、40年ほど前の1976年神奈川県刊行の《神奈川県の潜在自然植生》(非売品)を長期シリーズで紹介しています。前回はこの植生の基本的な概念について、その詳細を見てきましたが、今回はいよいよ神奈川県の具体的な潜在自然植生の概説に入るという訳です。
その前段として《潜在自然植生》が宮脇昭さんの師でもあるドイツのラインホルト・チュクセン教授により1956年に提唱されて以来、この第三の新しい植生概念がどのようにして世界に受け入れられてきたのか、その推移を簡単にたどっています。1960年代に入ると、西ヨーロッパそしてロシア、アメリカへと紹介されるにつれ、この学説は世界的に広まっていき、宮脇昭さんが日本へ持ち込んだのは1970年のことであるという経緯が述べられます。
日本の新しい植生図づくりが神奈川県から始まる
この書籍《神奈川県の潜在自然植生》の刊行が1976年ということを踏まえると、宮脇昭さんが新しい植生概念を日本に持ち込んでから、そんなに時間も経っていないことから、彼が神奈川県の植生をつぶさに観察し確かめながら、地図上にマッピングしていくプロセスは、日本の《潜在自然植生》をはじめて図化していく過程でもあるということもわかってきます。
事実、宮脇昭さんは、彼の指導のもとにその作業に携わった若い研究者たちから「先生、我々を殺すつもりですか」(宮脇昭著『森の力—植物生態学者の理論と実践』講談社現代新書 p63)と脅迫されながらも、これらの困難を乗り越えるように1989年には全10巻からなる全部で6,000ページにもおよぶ《日本植生誌》を完成していることは今までにない業績として、この世界では広く知られているところです。
一方では原植生と現存植生の中間に位置付けられる《潜在自然植生》ですが、特に人間の活動が活発な文化景観域では、これらをほとんど見つけることができず、現場でそれらを確認しながら地図上にプロットしていくことはとても一研究者にできることではないこと、にもかかわらず、1960年代後半という時代の趨勢が宮脇昭さんたちの背中を押してくれた、ということを次のように語っています。
このような自然破壊・環境汚染に対する「本能的な危険性」を当時の文部省も察知したのか、日本列島の植生図化がその当時には大型プロジェクトとしても取り上げられ、首都圏、中部圏に引き続き近畿圏の潜在自然植生図化が行われていることにも言及されています。そして、このプロジェクトの延長線上に集大成されたものが、上述の《日本植生誌》に他なりません。
この「宮脇昭著《神奈川県の潜在自然植生》を読む」シリーズの初回には、当時の県知事が寄せた序文を載せています。そのなかでは、刊行の目的を《潜在自然植生に対する理解が深まり、県土の土地利用、都市計画、自然保護、環境創造等の諸施策に本書が大いに活用されること》にあるとしていますが、この章でも宮脇さんは、この刊行目的を実現するための植生調査と植生図化に伴う困難性をより具体的に次のように述べています。
このような県下全域を網羅することになる広域的な現地での植生調査ですが、地域によってその困難な度合いも、もちろん異なってきます。
自然植生が健在であり、潜在自然植生の図化が比較的容易な地域として丹沢・大山山系を挙げ、その一例として丹沢山(標高1,546m)の東にある堂平(海抜1,400m)に広がる《ヤマボウシ—ブナ群集》のこの当時の見事な林相を大きな写真で載せています。
確かに1970年代は、標高800m以上の高さにある丹沢・大山山系に拡がっていた《ヤマボウシ—ブナ群集》ですが、1980年代に入ると丹沢の象徴でもあったブナ林は次第に立ち枯れやシカの食害など、複合的な原因が重なり、衰退していきます。特に檜洞丸あたりから蛭ヶ岳—丹沢山—塔ノ岳にかけての西丹沢に至る地域のブナ林の枯死および衰退は深刻な状況となり、それ以来様ざまな分野からの原因の究明や対策が行われてきました。(詳細は『丹沢の自然再生』第2編ブナ林の再生/発行:株式会社日本林業調査会)
『丹沢の自然再生』によると、衰退のメカニズムはすべて解明された訳ではないのですが、大気汚染・病害虫被害(ブナハバチ)・水ストレスなどが主な原因として挙げられています。なかでも、大気汚染物質は、二酸化硫黄・酸性雨・光化学オキシダント(オゾン)などヒトの生産活動によって排出されるさなざまな化学物質が複合的に絡んでいるものであり、これらは地球温暖化対策と同じような包括的なレベルでの解決策が求められています。
仮にブナ林の衰退がこのままさらに深刻になると、ブナ林に替わるものとして、どんな代償植生が新しく現れてくるのでしょうか。1,000〜1,500mのブナクラス域へのヒトの侵入は登山者を除いて極力制限され、国定公園としても植生の保護に当たってきたのですが、その保護区域を簡単に飛び越えてヒトの生産活動が、影響を及ぼしているという訳です。
《潜在自然植生》を判断する基本的な調査方法
田園景観的な半自然植生が拡がり、社寺林や屋敷林などの自然植生が残存する地域でも、以下のように《潜在自然植生》の総合判断も比較的容易にできるとありますが、ここで登場する昔から鎮守の森として、神聖な樹木として言い伝えられてきた社寺林も、特に神奈川県では都市化の波、開発の侵食に抗うことができずに、現在ではかつての数%も残存していないことが、その後の宮脇昭さんたちの調査で放校されています。
いずれにしても《潜在自然植生》を判断する有力な物証として確実な決め手になるのは、残存自然植生やその断片または残存樹木であり、ひたすらこれらを捜索し、発見することが唯一の解決策となる訳です。以下、文化景観域での河川流域、海岸線沿域、わずかに残る社寺林などの残存自然植生域などに分類しながら、基本的な調査方法を論じています。
以上の分類とは別に、神奈川県の植生図を作成する際に重要な視点=植生の境界を見極めることが大切であると、最後にまとめています。