場所は、埼玉県秩父市吉田太田部楢尾の地名を持つ山奥の村。そこで、これまで耕してきた山の斜面に作った段々畑を一つ一つ閉じて替わりに花木の苗木を植え育てながら、自分たちの畑を森に、自然に還してあげようとしている年老いた夫婦を撮ったtv番組を見ました。『秩父山中 花のあとさき—ムツばあさんのいない春』。(以下の写真は主にnhk bs同番組キャプチャー画像)
■
日本の農業についてはその昔、果物のロゴタイプやパッケージデザインなどの仕事をいくつか請けおった経験もあり、私にとっては今でもついつい気になってしまうジャンルの一つでもあります。なので、今日の農業が一方では、法人化と大規模化によって活路を見出そうとしているのにもかかわらず、すでに高年齢が多くを占める農業従事者がこの流れに乗れるはずもなく、全体としては、農業人口の減少と更なる高齢化に歯止めがかかっていません。具体的には、この30年で6割減の200万人割れも迫っており、年齢別だと65歳以上が全体の2/3を占めるといいます。
■
このtv番組の老夫婦は、上の地図や画像でもわかるように急峻な山の斜面を切り開いた地区に住み、段々畑を耕していました。江戸時代から始まったこの山あいでの営みは、かつて炭焼きや養蚕、杉の植林が主だったようです。国土地理院の地図データを見ると標高500mほどの山あいにあり、ここでの農業経営は今では成立するはずもなく、番組の制作当時2012年にはこの地区に残っていた数件の農家のうち、畑を耕し続けている農家は一軒、それも収穫する野菜はもっぱら自家用のそれでした。このような場所で営む農業の過酷な現実がどのようなものであったかを、おばあちゃんのお話から伺いとることができます。
■
写真のように急峻なやせた土地で人々は石を積み上げ、土を入れて畑を作ってきたのですが、その暮らしは決して容易なものではなく、昭和40年代になると多くの村人は現金収入を求めて、街へと勤めに出るようになります。おばあちゃんも一度、山の仕事を離れて工場に勤めてみたことがあったのですが、その当時の思いを次のように語ってくれました。—会社に行くと10時、3時、それから昼休みは1時間もあるし、5時にはピタッと(終わって)家に帰れるし。農業だとそうはいかない。日曜なんてないし、会社はなんてラクなところだと思った。
こうして山を降りる人が続き、跡継ぎもないままに段々畑も次第に少なくなってきます。結局、山に残ったこの老夫婦も場合も例外ではなく、これまで桑の林に始まり小麦やじゃがいも、大根とたくさんの作物を育ててきた二人の畑も少しづつ狭くなってしまいます。そしてこの老夫婦は、およそ150年間続いてきた畑を自分たちの代で終わりにしようと心に決めました。その代わりに、閉じた畑をそのままに放置することなく、その跡地にはたくさんの花や木を植え続けてきたのです。最後まで残しておいた畑も80歳を迎える前に閉じてしまい、かつて桑の葉が生い茂る段々畑は、花桃、桜、レンギョウ、ツツジ、バラ、紫陽花、皐月そしてカエデなど、春になると一斉に鮮やかな彩が人の目を楽しませ、秋が来ると紅葉を見せる、一万本を越える花木の森に変わろうとしています。
畑を山の自然にお返ししようという二人の想いを番組のナレーションは次のように代読しています。—長年お世話になってきた畑をそのままにしてほって置くのも申し訳ない。せめて花や木を植えて山に返したい。花を咲かせて山に戻せば「あんぴ」(のんびり)できる。それに、いつかこの山に人が戻ってきたときに、綺麗な花が咲いていたらどんなに嬉しかろう。そうやって二人は桑の木を抜き、花を植え、山に返す日に備えてきたのです。
今回ご紹介した『秩父山中 花のあとさき—ムツばあさんのいない春』と同様にムツばあさんを主人公にした先行する番組がすでに放映されていたようで、この先行番組を見て感動してしまった視聴者が、実際に老夫婦が作ってくれた樹林現場を訪れ、四季折々の花木を楽しむシーンもあるのですが、この一見《自然》と思われる花木の景観を維持し続けるその裏側では、多くの労苦を老夫婦が負担することになります。
老夫婦が、二人の畑を《自然》に戻そうと植えた花木の苗木は、上に掲げた花桃、桜、レンギョウ、ツツジ、バラ、紫陽花、皐月そしてカエデなど、主にいずれも夏緑(落葉)広葉樹の秋には葉を落とし、林内を明るくしてしまう樹種のものです。これらの樹林が構成する《自然》を維持するためには、明るくなった林内に侵入するツタなどのつる性植物群を取り除くための管理やコストが毎年不可欠になります。
番組でも、夫の看病のために一年間ツル刈りを怠ってしまった結果、ジャングルのように荒れてしまった樹林を前に、おばあさんが嘆く場面が流れます。—これじゃあ花木も可哀想、ツルに巻かれちゃって。ひと夏構わないとこうなるんだ。花木も参ってしまう。—
かつて、この備忘録で一度紹介したことがあるのですが、上のおばあさんのジャングルへの嘆きと同じことを山の木こりが言っていたことを作家の水上勉が、次のように随筆に書いています。
「自然は、つまり、守るもんでしてね」
■
と老爺さんはいった。「わたしらは、子供のじぶんから教えられたんです。山は放っておくとつるばかしになる。毎日、つる刈りに歩かないかん‥‥‥つるはあんた、良木をいじめる怪物です。放っておくと山はジャングルですわ」よくきいてみると、老爺さんの歎く点は、開発会社やお役人さんの自然観に原因している。
■
なるほど樹を刈ったままでは山野は荒れるから、植林も叫ばれているし、無軌道な乱伐も監視されて、自然林がのこされている所もあるのだが、その自然林なるものが、放っておいてはダメだという点にあった。(『日本の名随筆・森』p12水上勉『木挽き話』)
この水上の話しを読むとヒトの手で守り続けないといけないような、ここに出てくる《自然林》とはどんな植栽の森林を指しているのかが、大変気になります。ほっておくとジャングルになるような《自然》とは雑木林などの二次林に特有の現象なのかもしれません。雑木林の主木である夏緑(落葉)広葉樹は、秋になると葉を落としてしまうため、林内に陽の光が差し込むようになり、本来は林縁で森を守っていたはずのツル性植物が林内への侵入を繰り返すようになるというのです。このへんの詳細について、実にわかりやすく説明している宮脇昭さんの著作があります。
手入れが必要な雑木林
■
しかし、現在みなさんが目にする森のほとんどは、土地本来の自然の森とはおよそかけ離れたものです。・・・(途中略)・・・各地の里山に見られるいわゆる雑木林です。最近では一種の流行のように、里山の雑木林に多くの人の関心が注がれています。関東以西にある落葉広葉樹の二次林である雑木林は、化石燃料や化学肥料などない時代に広く利用されていました。木炭や薪をとるため15〜20年に一度伐採し、また田んぼに入れる肥料や牛小屋に敷く草をとるために2、3年に一度下草狩り、落ち葉掻きをするなど定期的な管理をすることにより維持されてきました。地球上の常緑広葉樹林帯全体からみれば、日本列島は北に位置しています。したがって、定期的に行われる伐採によって常緑樹の再生力が衰えてきます。そこに、本来はもう少し高所や北方に自生していた落葉広葉樹のコナラ、クヌギ、エゴノキ、ヤマザクラなどが育成するようになりました。関西では針葉樹のアカマツ、中国地方以西では落葉広葉樹のアベマキも含まれます。大雑把ながら定期的に人間の手が入ることによって、里山の雑木林が成立しているのです。
このような落葉(夏緑)広葉樹林であるクヌギ—コナラ林、すなわち雑木林は、1930年代からイギリスの落葉広葉樹林を研究していた a.g.タンスレイも言っているように、垂直的にうまく太陽の光エネルギーを使うために、林の下から春が来ます。日本では、春先にまずカタクリやキンラン、ギンランなど林床の植物が花を咲かせ、次にツツジの類など低木が花をつけます。
関東では四月半ばになると、高木層のコナラ、クヌギ、エゴノキなどの梢の先が薄いねずみ色になり、ついで萌黄色、五月の末ともなると、濃い緑色になって、多くは目立たない花を咲かせます。雑木林は秋に落葉するので、林床に光が入って明るい空間ができます。そのために、草原の植物、例えばススキ草原の構成種やマント群落の構成種が入ってきます。マント群落とは、川や草原などの解放地と森との境にある「林縁群落」のことです。本来の森の植物とは異なり、まるで森にマントをかぶせたようにツル植物のクズやカナムグラ、サルトリイバラ、低木のウツギ、ニワトコなどがその周囲を囲みます。自然に近い森が破壊されると、本来は林縁で森を守っていたはずのマント群落の構成種やさらに関西以西ではネザサ、関東ではアズマネザサなど草原性の植物が林内に入り込み森が荒れた状態になります。
一見、雑木林の構成種数は多いように見えますが、一時的に色々な植物が入ってきてヤブ状になっているにすぎません。(宮脇昭著『木を植えよ!』2006年 新潮新書 p24-27)
宮脇昭さんの著作からの引用が長くなってしまいましたが、上のような宮脇さんの言説をなぞってみると、次のようなことが言えると思われます。
埼玉県秩父市の山奥のこの村の標高はおよそ500m。関東地方でも内陸部に位置するこの区域本来の《自然》に限りなく近い潜在自然植生はヤブツバキクラス域のスダジイ、コジイなどのシイ類や最近は庭木としてもよく見られるシラカシ、アラカシ、ウラジロガシなどカシ類を高木として構成する常緑広葉樹林だと思われます。
ところが、江戸時代にヒトの手が入り開拓されるまで、太古の昔からこの地域の《自然》として繁茂していた常緑広葉樹林は、ヒトの営みによって薪炭林としての雑木林、更に材木を生産するための人工林に植え替えられ、そして一部は桑畑や野菜畑に姿を変えながら、長い時間をかけて今日に至ったというわけです。
なので、老夫婦が「畑を《自然》に返そう」として植え続けたカエデやその花々がヒトの目を楽しませてくれる多彩な種類の夏緑(落葉)広葉樹の林は、本来の意味での《自然》ではなく、いわゆる《ふるさとの木によるふるさとの森》のような本来の《自然》が復元することはないのだと思われます。
この番組では主題から離れるために、深く追求することはありませんでしたが、一夏管理を怠ると上の写真のように、たちまち樹林にツタが覆いかぶさり、全体がジャングル化してしまう樹種で構成される《自然》を育てようとする限り、いつまでもツル刈りや下草刈りのヒトの手が不可欠になります。番組の最後に、老夫婦をはじめこの地区に残った数軒の人々はすでにお亡くなりになったか、村を去っており、今はもう誰も住んでいないこと。でも、このtv番組で老夫婦のことを知った人たちがボランティアでツル刈りや下草刈りを続けており、おかげで、今でも春になると二人が残してくれた花木を楽しむことができることを付け加えていました。
これはこれで大変美しい話しですが、実はこの村と同じようなことが日本中で起こっており、ヒトがいなくなり(スギやヒノキなどの人工林と同じように)放棄された畑がいたるところで目につくようになったことは、先日の備忘録《植生トレンド考 2》でも紹介したことがあります。
本来の《自然》とは、ふるさとの木によるふるさとの森を言う。これが私の備忘録で何度も繰り返し、微に入り細に入り学習してきたことのコンセプトであり、これまでも 1)水源林の再生 2)人工林から混交林への転換 3)都市の防災&環境保全林の育成という3つの事業領域について夢想してきました。これからはこれに加え、耕作放棄地をふるさとの木による《ふるさとの森》へと転換するという4つ目の領域の事業可能性も出てきたように思いました。
ふるさとの木による《ふるさとの森》は、ヒトの管理も不要となり、その森は半永久的に続くことになる訳ですから。