野生動物とたたかう農林業

先日の朝日新聞電子版に興味深い記事を見つけました。タイトルは『(ニッポンの課題)野生動物とのたたかい』というものです。日本の農林業に及ぼすシカやイノシシなど野生動物による被害を嘆いた記事で、金額に換算するとその被害額は、年間200億円にもなるとも言われています。

神奈川県下でも、とりわけ丹沢山系での野生動物による森林の植生被害は、場所によっては深刻な状況が続いており、この備忘録でも何度か取り上げたことがあるのですが、その限りでは森林の植生被害にしても農業被害にしても、これといった妙案がある訳もなく、個体数の調整とか植生保護柵の設置などという対処療法的な施策で食い止めることしか、やりようがないようです。

 ヒトは何故こんなに野生動物を相手に悪戦苦闘しているのでしょうか。この記事によると、主に農林業をめぐる野生動物と人間との長い闘いの歴史のなかで、今ほど人間の側の旗色が悪いのは、珍しいことだというのです。ただただ、今のことしか頭にないような私にしてみると、なかなか思いつかないような、大変興味深い視点だと思いました。

最近、山の麓などに拡がる農地では、昔は盛んだったヒトの気配が高齢化に伴い減少するにつれて、その分だけ野生動物も大胆になるのか、農地への進出もその度合いが大きくなり、農作物被害が増加。また、ヒトが化石燃料や化学肥料を使うようになるまで、生活の必要から活用されていた里山と呼ばれていた雑木林は、ヒトと野生動物の世界を分け隔てる壁のような役割をも果たしていたのですが、利用価値がなくなるにつれ、荒廃するだけになった林内は、動物の世界の側へと移行してしまい、これに比例するように野生動物の個体数も増え続けたようです。

それと共に彼らの食欲は山の樹木にまで向かうようになってしまった訳で、樹皮はもちろん林床も食害で丸裸となり、それが森林荒廃を加速する一因にもなっていることがわかっていました。従って、野生動物が一方的に悪い訳でもありません。農林業の衰退というヒトの世界での環境変化に一義的な原因があると言えます。こんな思いを持つ私にとって、今回の新聞記事に登場する猟師の言葉は、物事の核心を衝くような重たいものを感じさせます。

猟師の立場からすると「野生動物とのたたかい」という考え方は少し違うと感じます。動物と人間とのあつれきの主因は人間にあります。戦後、日本は木材が必要で奥山に針葉樹を植え、実のなる木を切りました。安価な輸入材の影響で針葉樹が売れなくなり、動物が好まない森になりました。薪や炭の利用が減ると里山に実のなる木が多く残るようになりました。人間が野生動物の生息域を人里に寄せ付けたのです。

人里にきた動物は、当然そばにある畑の農作物を食べます。シカは日当たりの良い場所に生える草を食べる生き物。道路や線路脇は日当たりがよく、そこで事故に遭います。獣害で農家が疲弊し農地を手放すような深刻な状況になっています。でも「害獣」がいるわけではありません。原因が人間にあることを踏まえ、野生動物の習性をよく知って効果的な対策をするなど、向き合い方を考えていくべきです。

著しい高齢化で疲弊した山間部の農林業に獣害が追い打ちを掛けました。補助金で電気柵やネットを張っても、高齢夫婦だけでは見回りや草刈りが十分にできず、柵の下をイノシシにくぐられ、補修が追いつかなくなります。

知り合いの農家の50代の男性は、イノシシの害に悩み「裏山から絶滅すればいい」と言っていましたが、自分で免許を取り、わなで狩猟を始めると、動物との知恵比べの面白さを知りました。捕ると被害も減り、きちんと処理して食べると肉はうまい。相手の習性もわかり、放置していた売れない野菜が餌付けになっていたことにも気付きます。対決相手は山の恵みの一つという感覚になりました。農家が自分で捕るスタイルも現実的対策の一つだと思います。

狩猟や有害駆除による捕獲に追いつかないほどシカは増え、10年前はササやぶだった山が丸裸になるのを見てきました。農作物の被害は防げる面もありますが、森の生態系の被害はなかなか防げません。過渡的には大きく減らす必要があると思います。

例えば、1990年代初めに30万頭ほどだったシカは300万頭に増えたという説もあるのに対して、ハンターの数は1960年代末の50万人をピークに今は18.5万人と激減し、しかもその多くが高齢者となっており、彼らに活躍してもらうのは無理なようです。

加えて、この備忘録で紹介したtv番組《 畑を自然に還すという試み 》では、衰退する農業の深刻さを改めて知らされることになりましたが、変転する日本の社会や経済に取り残されたとしか言いようのない農業従事者であるおじいちゃん・おばあちゃん達の更なる高齢化は、とりわけ山の麓の段々畑を次々と放棄させることを全国で強制しており、それに比例するように、イノシシやシカやサルの生活圏がますます拡大するという訳です。

また、先日この備忘録で紹介したtv番組《 赤宇木—遺棄され、原植生に覆われる村 》のように、原発事故によって放射能に曝され、ヒトが帰還できるのが100年も先になるような、突然ヒトの生活が断ち切られ、気配さえも全くなくなって遺棄されてしまった放射能汚染地帯では、その翌日からたちまちイノシシたち野生動物の跋扈が始まったようです。かつてヒトの生活圏だった場所に現れた新しい主人公たちは畑の作物だけではなく、家屋まで押し入ったりを繰り返し食物を物色している様子がしっかりカメラにも写っていました。

このように、一押し寄せてくる野生動物にヒトは一体どうすればいいのか?記事は、その事例を次のように紹介しています。

日本では、狩猟は生計や趣味、害獣防除のために住民が行ってきました。動物が増えれば規制を緩め、減れば強めるという行政のさじ加減で対応できました。そこに、鳥獣を計画的に管理し利用する発想はありませんでした。

シカなど有蹄類(ゆうているい)の増加は北半球共通の課題です。欧州では狩猟学が確立され、生息域や個体数の管理から人道的な捕獲、食肉利用まで担う専門の職業人が存在します。英国は土地所有者がシカ管理人を雇い、管理人は猟区内のあるべき個体数から計画を立て、自ら捕獲し、狩猟者にも許可を出します。営林署の職員の1割はシカの捕獲係です。

制度は違っても、どこの国も鳥獣の生態から病気、法令、銃の扱い、食肉衛生など体系的な教育を受けたプロが管理しています。林業に林学があるように、日本も大学に狩猟管理の専門課程を置くべきです。戦前は旧帝大に狩猟学がありましたが、今はありません。害獣駆除の報奨金制度は、あくまで獣害防止のカンフル剤ととらえ、人材育成を急ぐべきです。

いつだったか、今日の日本と欧州との同じような先進国での林業経営を比較する私の備忘録のなかで、ある雑誌記者は次のように語っています。日本の林業はその制度設計に課題がある。もっと具体的には、これらを管轄する役人は彼らの仕事がたとえ時代遅れだろうと、これではやがて未来が破滅するだろうことをわかっていても、ひたすら前例を踏襲することと自らのポストや給料を守ることだけを考え、役に立たなくなって腐りかけた制度のなかで任期中はなんとか無難にやり過ごそうとする。この構造にメスを入れる以外には、問題を解決する方法はないのではないだろうか。こんなことを結論のように言っていました。

野生動物とたたかう農林業の分野でも、新聞に登場する識者たちは極めて真っ当なことを読者に語りかけています。そして困難に直面する農林業全体がそうであるように、この狭い分野でも課題解決の糸口は、やっぱり時代の流れに合わなくなった制度の変更に関わることのようです。

このまま、やがて未来が破滅するのでしょうか。

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