世界遺産沖ノ島の潜在自然植生

沖ノ島の森は《原植生》か、それとも《潜在自然植生》か

今年、玄界灘に浮かぶ沖ノ島が世界文化遺産に登録され、周囲4kmに過ぎないこの小島が実は、一般の人が立ち入ることができない「神聖な神の島」として遠い昔から今日まで崇められ、海に浮かんでいることも話題になりました。来るなと言われると、見たい・触れたいと逆に興味が募るのは人の常のようですが、私のような《潜在自然植生》の老学徒にしてみると、今まで人為を拒否してきたという、この島に拡がっているに違いない国内でも稀有なヤブツバキクラス域にある《原植生》を一度のぞいてみたいものだという気にもなって来るのも当然という訳です。

上記の《原植生》と《潜在自然植生》の関係をここで整理すると、前者はヒトの接触が始まる前の植生であり、後者は今ここで一切のヒトの干渉を停止した時、現状の立地条件が支持しうる植生のこと。従って《潜在自然植生》は植物生態学に基づいて科学的な根拠から割り出される(往々にして実際には存在しない仮想の)植生ということになる。
沖ノ島の場合「島に入る者は島の宝物はもとより、一木一草一石持ち出してはならないという掟があった」という言い伝えから、これまで樹木・草本を持ち出すことはもちろん、伐り倒すことも禁じられていたはずだと考え、この島の植生を《原植生》と書いてしまった。ところが、いろいろと調べてみると、あのアジア・太平洋戦争期に大陸の最前線と位置付けられた沖ノ島には軍事施設が作られ、多い時には200名ほどが常駐していることがわかってきた。どうやら、我が大日本帝国軍隊は自らを神様よりも上位にあると思っていたようである。ただ不幸中の幸いということか、その軍事施設は外部から見つからないようにカムフラージュする必要から、大木を伐採することを避けて、ほとんど石を組んで作られたようで、植生への撹乱度はよくわかっていないという。

という訳で、70〜80年前にはこの島の《原植生》に何らかのヒトの手が加わってしまった可能性があり、その後は今日に至るまで《一切のヒトの干渉を停止》している訳だから、今回の備忘録タイトルには《潜在自然植生》を使用することにした次第である。(写真はbs朝日番組『沖ノ島~藤原新也が見た祈りの原点~』のキャプチャー画像。以下同様)

切り立った島の形容は、地球や自然、ヒトの歴史にまで想いを馳せる。

ちょうど鉈か何かで荒々しく断ち切られたような断崖を見せる沖ノ島は、およそ2,500万年前に突然アジア大陸の東端が切り裂かれ、その切れ端がやがて大陸から離れてゆき、幾つもの事象が重なることで、日本列島になったというその誕生秘話の一端を今の私たちに示唆してくれているようです。この小島は最初は大陸の切れ端である本体に何とか付いて行くことができた破片みたいなものだったのですが、そのうち力尽きて沖の方に置いてきぼりにされたまま数百万年の間、自分自身を主張するかのように、切り裂かれた断面を見せながら玄界灘に浮かんでいるかのようです。

また、島のなかに立ち入って見ると、異形とも言える自然環境の拡がりだけではなく、古代人による巨石信仰・祭祀の痕跡が見られることからも、彼らはこの島に神の存在を信じていたことも伺えます。このように、植生や地質、考古学を含めた自然環境だけではなく、ヒトの文化や生活の変遷まで、重層的な分野を横断する視野を持ちながら、沖ノ島の探検ができると、より面白くもあり、充実感も得られるのではないでしょうか。

巨木にもなるタブノキが優先する森の様子を、藤原新也さんの写真展で覗いてみる。

以上のようなことを思いながら、写真家の藤原新也さんが沖ノ島を撮る様子を中心に構成されたbs朝日のテレビ番組『沖ノ島〜藤原新也が見た祈りの原点』を見ていると(左に掲げたのがそのポスターですが)彼の写真展『沖ノ島—神宿る海の正倉院』がタイアップ企画としてこの時期に催されていることも番組告知で知ることができました。

《潜在自然植生》老&ビギナー学徒として、tv番組ではよくわからなかった植生の詳細についても、藤原新也さんの写真だと心ゆくまで顔を近づけながらじっくり観察することもできるはずだと思い、さっそく行って見ることに。

九州を含む西日本の低地に広がる植生であるヤブツバキクラス域の海岸沿いには潮風にも強いタブノキが優先するとされています。このタブノキは、一般的にスダジイ林の構成種としてシイ—タブ林として見かけることが多いのですが、シイに比べて高くなることもなく、通常はシイ林の亜高木としての地位に甘んじているのだそうです。

ところが、上述のように潮風に強い性質を備えているため、沿岸沿いに限ってみるとシイを押しのけ優先して生育するため、30mの高さを超えるような巨木になることも。また、そうなってくると樹形も独特の表情を見せることになります。一つ一つの枝が一本の木のような樹冠を作り、それぞれが段状に積み重なって成長し、遠くから見ると積乱雲のようにも見え、今度は近づいて樹冠のなかに入り上を覗いて見ると、大きくなった枝々が所構わずうねりながら重なり合い、不気味な印象を与えることもあるようです。

以上、この程度の基礎知識を持ちながら行って見ると、そこに拡がる樹林を写した写真群は、巨岩とせめぎ合い、絡み合いながら生きようとする樹木のなりふり構わない生命力と、その生命力を凌駕するような自然の厳しさが写し出されていて、圧倒的な思いをしました。

藤原新也さんの写真の前に立つと、ヒトは自然の一部であることが見えてくる。

おそらく、この島の土壌の表面まで磐岩で占められ、岩の上に乗って生育するしかない樹木、とりわけタブノキは、巨大な岩石をも包み込むような勢いでゴツゴツとした樹肌を見せながら、自らを巨木に育て上げているようです。

また、林床に目を移すと、苔むした岩の隙間にはシダやランの仲間とみられる草本類が所狭しと繁茂しています。さらに太い枝のようにまで成長したツタが、まるで天地をつなぐように何本も垂れ下がっているのが見えます。ひしめき合う草本の間には、常緑樹の落葉が幾重にも重なり、その多くはまるで落葉樹の葉のように茶褐に変色が進み、土中の微生物やバクテリアの働きも加わって、すでに腐朽のプロセスに進んでいるようにも思えてきます。

ここには宮脇昭さんが常々語っている《高木、亜高木、低木、下草、そして土の中のカビやバクテリア、ダニ、ミミズまで、いろんな生き物が限られた空間で競い合いながらも互いに我慢し、共生しています。このような「多層群落」こそ、「本来の自然の森の姿」です。》(宮脇昭著『木を植えよ!』新潮新書 2006年 p23-24)というヒトの手助けなど必要とはしない世界がそのまま広がっているようです。

こうして、朽ち落ちた樹木の枝葉や動物の死骸などの有機物は、再びミネラル(無機質)に還元され、土壌に染み込み、ここで植物の生育に欠かせない栄養素となって再度植物に吸収され、それら植物を不可欠する小から大までのすべての動物が生きていくための環境を提供する訳で、ヒトの手が邪魔をすることがほとんどない沖ノ島では、この循環する生態系の世界を直接見ることができるのかも知れません。

このように、ヒトの目を気にすることなく、おそらく数千年という長い時間をかけて植物を中心に循環する世界を作り上げた沖ノ島の自然環境=生態系の表情は、日本中にあふれている里山の雑木林や人工林などの人工植生とはまったく違った顔を見せてくれます。そこでは、人工植生ばかりを見続けたために、いつの間にか私たちの頭のなかにしっかりと植えつけられてしまった概念としての、緑の美観とか整然とした樹林の形状といったヒトの心を癒し、和めてくれるような景観を見ることはできません。

藤原新也さんの樹木を巡る写真は、むしろヒトを寄せ付けなかったことで、植物を中心にした豊かな自然環境をぐるぐると半永久的に循環させているようにも見えてきます。しかも、この自然環境が酸素を作り、CO₂を吸収し、有機物をミネラル(無機質)に還元できる唯一の装置だとすると、その時ヒトはどんなポジッションにいるのでしょうか。

ヒトはどんなにテクノロジーを進化させようとしても、この装置の前では、動物一般に抽象化されてしまうだけの、それほどの立場でしかないようです。という日頃はすっかり忘れ去ってしまっているような途方も無いことを、写真を前についつい考えてしまいました。最後に、ヒトも含めた地上の生命体を守る自立した循環装置としての自然の森の関係図を(使い回しで恐縮ですが)つけておきます。

私が一方的にだが、敬愛する一人の、あるnpo理事長の人生哲学には「他(の植生や人)を批評することはしたくない」というものがあり、私にはとても真似ができなような彼の立派な佇まいには敬服してしまうばかりであるが、同時に彼の姿勢の方へ1cmでも、少しずつでもいいから近づきたいと、思っていることも事実で、特にこの備忘録でもついついやってしまう他者批判→非難の直後には、またしても真理に背いてしまったという自ら犯した行為にはひどく落ち込んでしまうこと度々でもある。一体どうしたら対象を批判したりせずにその世界を解明することが可能になるのだろうか、と。

という訳で、冒頭で触れたbs朝日『沖ノ島~藤原新也が見た祈りの原点~』というテレビ番組についても、躊躇しながらではあるが、少しだけ言っておかねばならない。その前提として、民放番組はおそらく視聴率が命となるからか、どうしても「より劇的に、より過剰に、よりわかりやすく」の方にと、視聴者に媚びるような制作態度には我慢することは仕方がないというか、当然でもある。

それにしても番組では、沖ノ島は女人禁制の島でもあると、何かそのことが威厳でもあるかのように男尊女卑を讃えながら、遠く沖ノ島を望む北九州の海岸なのか、砂浜で卑弥呼もどきの衣装をまとった女性が一人舞いをする場面がある。古代人の祭事といえば卑弥呼もどきというのが制作者にとっても見る側にとっても、わかりやすいストーリーなのだろうが、事実は、沖ノ島で最も古い祭祀が認められるのは4世紀後半からの、つまりヤマト王権の時代からであり、女性祈祷師の時代は一世紀前には終わっているのである。だとしたら、この時代の国家祭祀のシンボル的な表現としての卑弥呼もどきはいかにも安易すぎるのではないか。おまけに、そこに藤原新也が現れてカメラを構え、その舞いの様子を写真に撮るようなシーンになると、これは何か、悪い冗談でも見ているような気分になってしまうのである。

もちろん、この女人禁制については藤原も気にしているようで、次のような少し苦しげな言い訳をしている。《禁忌の島である。島は何人も自由に入ることを許されない。女人禁制である。だがそれは女子差別に由来するものではない。もとよりこの島は田心姫(たごりひめ)という女神そのものなのである。むしろ女性上位なのだ。》(藤原新也著『沖ノ島 神坐す海の正倉院』小学館 2017年)と。・・・・・

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