前回は宮脇さんの《(人工林のような)単層群落というのは極めて不安定であり、高度で集約的な人為的管理下でない限り、持続できない》という言説を彼の著作『鎮守の森』(新潮文庫 2007年 p82)からそのまま借用して、人工林を管理できなくなった時の方策を見つけておくことが課題となるなどと、小学生にもわかるようなことを結語に置いて、またしてもお茶を濁すようなことで終わってしまいました。
実際に、管理が困難になった人工林が増加の一途をたどっていることを見たり聞いたりすると、今から20年ほど前に、当時足繁く訪れていた丹沢の鄙びた温泉宿のばあさんが心配そうに言っていたことを思い出してしまいます。通り雨が降った夜の翌朝、宿の前を流れる小川が、普段の清流とは打って変って濁流が轟音とともに木々の枝葉を飲み込みながら荒れ狂っている様に驚き、きっと昨夜の山の奥の方は豪雨だったに違いないと思い、さっそくばあさんに報告すると「昔はこんなんじゃなかった、多少の雨では濁ったりしなかった」と嘆いているのでした。このことを今まで忘れずに印象的な場面として覚えているのは、その時、何とはなしに大きな不安を感じたからでしょうか。
当時は1980年代の狂乱もとっくに収まり、社会はひたすら地上スレスレの低空飛行を続けながら反省の時代に入っていた1990年代のことですが、林業の衰退によると思われる森林の水源涵養能力の低下はもっと以前から起こっていたようです。
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- 1955年には9割以上もあった木材の自給率は、木材輸入の自由化に伴う外国産木材の需要の増大により1970年頃にはついに5割を割込み1980年には3割にまで急減。
- 他方、自給率の急降下が始まった1950年代末には1,000万haという広大な森林をスギ・ヒノキ・マツの森に変えるという人工林計画を国策として実施。この造林ブームは国有林・私有林を問わず全国に広がり、今から20年ほど前の1996年にこの政策が見直されるまで40年近くも続くことになる。
- その結果、どうなったか?管理放棄された膨大な人工林と借金だけが残ったと言われている。
- 現在も木材の7割以上は海外からの輸入に依存するため、国内の林業の衰退は深刻で、森林の荒廃は今も進行している。
- これが山の自然を破壊し、森林の水源涵養能力の低下につながっている。
とは言え、もっと時間を俯瞰してみると、1923年の関東大震災とその直後の豪雨で丹沢は壊滅的な自然破壊に見舞われたと言われています。もともと江戸時代から丹沢は、スギ・ヒノキ・モミ・ケヤキ・ツガ・ブナの木が《丹沢六木》と呼ばれ、幕府の御用材になるほどの良材を産出していました。明治に入って本格的な植林が始まり、大正時代にはパルプ材や船舶用の木材として多くの木が丹沢でも切り出され、その後大震災からの復旧に多くの労力が割かれたと言われています。戦中は軍の供出令などによる乱伐を経ながら、再び丹沢の林業が盛んになったのが、戦後の高度経済成長期のことだとすると、ばあさんの言う「昔」とは長い歴史の飛び飛びに分断されたそれぞれの一瞬だったのかもしれません。
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ながながと横道に逸れてしまいましたが、という訳で、台風でも豪雨でもない普通の雨にもかかわらず山の小川が濁流と化すのは、一般的には森の(主に人工林の)手入れ不足→荒廃→林床の劣化という一つの連関したプロセスに原因があり、これが水源涵養能力の低下につながっていることになります。
そこで神奈川県は森林が持っている水源涵養機能をはじめとした公益的機能のこれ以上の低下を防ぎ、水源に恵まれた神奈川県の自然を次の世代にバトンタッチするために、環境保全事業のひとつとして、水源の森づくり事業を始めたと書かれています。この事業のコンセプト、エリアなど詳細は県のウェブサイトをご覧ください。→《かながわ水源の森づくり》
事業が目指すのは5タイプの森
神奈川県は大都市圏の中でも比較的、水には恵まれており、夏の日照りなど渇水による水道水取水制限という話は聞いたことがほとんどありません。これは丹沢山系が育む豊かな森が広がり、相模湖・津久井湖・宮ヶ瀬湖・丹沢湖など大きな人口湖が雨水をしっかりと蓄える環境が整っているからだと言われています。
その神奈川県が、森の水源涵養機能に不安を持つようになったのは、困難な林業経営、管理・手入れ不足の森林の増加という特に私有林が抱える課題をこれ以上、放置することができなくなったからだと思われます。森の水源涵養機能高めるには、林床を豊かにし土壌の流出を防ぐことが一番の課題だとされ、これにより現在も劣化が続く水源地域にある人工林を回復させようというのがこの事業の狙いです。具体的には5つのタイプの植生を持つ森に変えていこうと目標になる森林の姿を描いています。
事業の基本は森林所有者が抱える人工林の存続
上図は県のウェブサイトからテキストは簡略化し、イラストはそのまま模写したものです。真ん中の3. 広葉樹林化以外はすべてスギ・ヒノキの人工林を存続させようというもので、事業対象がスギ・ヒノキの私有林だとすると、事業の主要な目標が5. 健全な人工林とそのバリエーションになるのは当然だという気がします。3. 広葉樹林はおそらくもともと植林地ではなく、保護柵の設置の必要性からするとシカの食害でダメージが重篤な広葉樹の私有林でしょうか。
いずれにしても、スギ・ヒノキの人工林は下草刈り—枝打ち—間伐—除伐など一連の適正管理が確実に続けられて初めて、この事業が目指す森の土砂流出の防止→水源涵養機能の回復が可能になるわけですから、人工林である限り、手入れ=コストの投入も続くことになります。そのトータルコストを私たちはいくら払えばいいのか、私たちがバトンを渡す次世代までそれを続けることが可能なのか、人工林を続けることがますますお荷物になる時代がくるのではないかと心配になります。
水源涵養機能を効率的に高めるには、広葉樹林と混交林化
などなど事業コストの心配をしながら、それぞれの森の5タイプの未来を推測してみましょう。
そこで、最初に注目したいのは4. 混交林。間伐で太陽が届くようになった林床に、その土地本来の(つまり潜在自然植生の)広葉樹の苗木を積極的に植樹する方法で針広混交林を育てると、スギ・ヒノキの針葉樹を伐採しなくとも、いずれはそれらは広葉樹との競争に敗れ、駆逐されることになります。針葉樹と広葉樹の混交林の実験をおよそ80年前に始めた明治神宮の森*が、今日ではこのことを実証しています。
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森全体への適正管理が行き届かなくなった人工林は少しずつ広葉樹の割合を上げながら、つまりスギ・ヒノキの針葉樹を伐採した跡地には同じ針葉樹の苗木ではなく、その土地本来の(標高800m以下であれば常緑)広葉樹の苗木を植樹し、広葉樹が優先する混交林化を進めることで、最終的には3. 広葉樹林にしてしまうという考え方もあります。
豊かな生態系を自ら育むことができる広葉樹の森は、水源涵養機能も高く、基本的にはヒトの手入れも不要**になるため事業コストも不要になります。森林所有者が売れなくなった木材の生産手段として森を視ることから方向転換し、もっぱら水源涵養機能など高い公益的機能を生み出す自然の森として考えることができれば、広葉樹林化も可能になります。この場合も、神奈川県は《公益的機能料》を補助するなどして森林所有者をサポートする、または森を買い取り県有林にしてしまうなど新たな方策が必要になります。
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事業効果の検証も必要
次に、1. 巨木林は間伐を繰り返しながら、数百年の時間をかけて巨大な針葉樹の森を作ろうとするものと思われます。例えば、有名な奈良の吉野スギの場合、最初は100㎡に1万本の苗木を密植、以降100年間で13回もの間伐を繰り返すのだそうです。しかし、今日では植栽後20~30年の間伐材1本がダイコン1本と同じ価格だと聞いたりすると、その森が巨木林になるまで、果たしてどれほどの公的な支援が必要になるのでしょうか。
ところで、この水源の森づくり事業で森林所有者のニーズが高い森林のタイプはどれでしょうか。おそらく5. 健全な人工林および2. 複層林あたりがニーズ的には合致しているような気がします。公的支援があると、高い水源涵養機能などを回復する下草刈り—枝打ち—間伐—除伐と言う一連の適正管理のコストもまかなえ、木材としての出荷も可能になるのでしょう。また、人工林の出荷が可能になるように事業サポートすることで、事業としての持続性を高めるという関係かもしれません。
例えば、広島県では「森づくり事業に費やしたコストに見合うだけの影響や効果を県民に与えたか、検証してみる必要がある」として、事業実施により維持・向上した森林機能のうち定量的(数量的)に表示可能な主な機能について、その「効果量」を計算しその値を「貨幣価値」に換算***しています。神奈川県でも、この事業が森林の公益的機能の回復・向上にどの程度寄与したのか?該当地域の林業にどのようなインパクトを与えているのか?実際に実施されている事業の詳細と具体的な事業効果を知りたいものです。