これまでに何度か神奈川県の水源林保全・再生事業について、その概要を紹介してきましたが、そのなかで、人工林を保全・再生するプロセスの手法についてはいろんな解説や資料を見つけることができ、その内容を把握することもできました。ところが、水源林エリアの半分以上を占めると言われている広葉樹林のそれについて触れたものはほとんど見つからず、広葉樹林の整備については具体性に乏しいままに終わっていたのが現状です。
実は、私にとって最も知りたいのは同じ水源林でも、神奈川県の森林再生のスペシャリストが考え実施する広葉樹林の保全・再生の具体的な手法であったため、どうにも不完全燃焼の状態だったのですが、嬉しいことに、ここに来て県が作ったpdf資料《水源の森林づくり 広葉樹林整備マニュアル 水源かん養エリア編》を発見してしまいました。私にとっては、オーバーな言い方をすると、世紀の大発見とでもいうべき歴史的な快挙にも相当するレベルのものであり、作成日は2003年とかなり時間が 経っているですが、広葉樹林の水源林保全の実際を紹介するものとして大変貴重な資料のように思え、以下にその概要を紹介しながら、《潜在自然植生》の老学徒としての感想なども述べてみることにします。
全国でも前例がない自治体による広葉樹林整備事業
この48ページを数えるpdf資料の冒頭には、木材生産以外の目的で私有林内の広葉樹の保全・再生を進めることは、自治体としても前例がないと書かれており、そのため計画→整備→モニタリング→見直しというプロセスを踏まえながら、5年ほどのタイミングで逐次整備内容の改善を図るフィードバック型管理を採用するとしています。今ではそれから10年以上経っているので、2度ほどのマニュアルの改定があったのかもしれませんが、取り急ぎ2003年度版をもとに話を進めることにします。
丹沢の水源林エリアの半分は夏季(落葉)広葉樹林の二次林
丹沢の水源林エリアの半分以上は広葉樹林が占めているそうです。一般的には(関東以西の)標高800m以下の場合は常緑広葉樹、800m以上だと落葉広葉樹の多層群落で構成された《潜在自然植生》の自然林であれば、他の外的要 因の影響を除外すると、ヒトの手による植生それ自体の保全・再生は必要ないはずである、というのが《潜在自然植生》の老学徒としての私の考えです。
ところが丹沢の場合、実際には標高1000~1200m 以下の広葉樹林は、かつて薪炭林として利用されていたため、現在はほとんどがかつての役割を終えた薪炭跡地二次林の状態であり、手つかずの自然林は急峻な谷間などにしか残されていないのが実態のようです。また、自然林がようやく顔を出すのは、ブナ林などの標高1200mを超えたあたりからだとと言われています。
広葉樹林整備の神奈川県の基本方針
以上のことから推測すると、例えば里山の雑木林を常緑広葉樹の森へと誘導するのと同様のプロセスを踏むのでしょうか。さっそく、神奈川県の手法を見てみたいと思います。その前に、この事業の目的と手法を簡単に押えておきましょう。
このように、地表の侵食や表層の崩壊を防止し、広葉樹林の林床の劣化を防ぐ事業を進めることで、水源涵養機能の高い森林を実現するとしています。では、広葉樹林での整備のポイントは具体的にどのようなものでしょうか。そのイラストをマニュアルから転載します。
上の 比較イラストにある主木は「そのほとんどが二次林」だとすると、左右両方ともにその大半がコナラ、クヌギなどの落葉広葉樹のように描かれています。目標とする広葉樹林も落葉広葉樹を主木とするのでしょうか。整備マニュアルにある基本方針を見てみましょう。
水源の森林エリア内で、確保森林が多く存在する標高800m以下の森林の潜在自然植生は、常緑広葉樹林になります。常緑広葉樹林は、比較的林内が暗く、下層植生の乏しい森林になりがちで、どちらかと言えば水源林としてあまり好ましい林相とはいえません。
また、水源の森林エリア内にある広葉樹林の多くは、薪炭林跡地や崩壊跡地に生育した植生で、階層構造の発達した広葉樹林への短期間での人為的な誘導は、場合によっては逆に森林を荒廃させる恐れもあります。
そこで、水源林事業では、積極的な樹種転換を行わず、自然の植生遷移に委ねることを原則として、照度管理、土壌流出の抑止、シカの影響を緩和することによって、下層植生(低木層と草本層)や高木層構成樹種の更新環境を確保し、土壌の保全を図ることを目的とします。
「水源林整備の手引き」の中では、潜在種以外の樹種を優先して伐採することとしていますが、森林の現況を十分に調査・分析し、上記の考え方もふまえ、高木層の伐採は慎重に行う必要があります。
このように基本方針は、水源の森エリアの潜在自然植生である常緑広葉樹林は下層植生が貧弱で水源林としては適切ではないと、まず常緑広葉樹林を目標となる林相から外し(たため、残るのは潜在自然植生ではない落葉樹林になってしまう訳ですが)その上で、多くは薪炭林(つまりクヌギ、コナラなどの落葉広葉樹二次林)の跡地なので、階層構造の発達した(落葉)広葉樹林に自然遷移させること。また、高木層の伐採は、潜在種(潜在自然植生の樹種=この区域では常緑広葉樹)以外の樹種を優先するのが基本だが、ここは慎重でなければならないとしています。
つまり、目標は豊かな植生の落葉広葉樹林へと自然遷移させることにあるようです。ここで、私のような単純素朴な《潜在自然植生》の老学徒には、立ち止まって検証し考えないといけない幾つかの課題が提示されているようです。
〈検証01〉潜在自然植生である常緑広葉樹林の下層植生は貧弱か?
第一の検証課題は「潜在自然植生である常緑広葉樹林は下層植生が貧弱」という指摘について。
《潜在自然植生》とは一切のヒトの干渉を停止した時、現状の立地条件が育むその土地本来の植生を指します。このように、その土地にヒトの手が加わる以前からあった自然の植生に限りなく近いという意味で使われる《潜在自然植生》の森が昔から存続してきたのは《少なくとも高木層、亜高木層、低木層、下草層という土地本来の森の立体的な構成が残されている》(宮脇昭著『鎮守の森』p62 新潮文庫)、つまり多層群落という下層も含めて立体的で豊かな植生が形作られていたからであるとされており、これは潜在自然植生の常緑広葉樹林にも、もちろん当てはまることです。
そしてマニュアルでは「常緑広葉樹林は下層植生が貧弱」であるとする根拠を「比較的林内が暗」いことに求めている訳ですが、人工林や里山の雑木林が伐採や枝打ちなどヒトの手による定期的な管理があって初めて健全に維持されるために、それらの林内は明るく保たれているのに対して、潜在自然植生の常緑広葉樹林は自然任せのままですから、枝葉も伸び放題となり、林内も暗くなって当然だと思われます。この暗さが、本当に植生を貧弱にするのでしょうか。この真相を探るために、ここはひとつ、例によって宮脇さんの本の中から《潜在自然植生の常緑広葉樹の森》について紹介した箇所を写し取ってみましょう。
では実際に森の中に入ってみましょう。
■タブノキなどの高木が太陽の光のエネルギーを吸収しているために、森の中は薄暗くなっています。
■薄暗い中でもモチノキ、ヤブツバキ、シロダモなどの亜高木と呼ばれている木々が育っています。ヒサカキ、マサキ、アオキ、ヤツデなど、海岸近くではトベラ、ハマヒサカキの低木も元気いっぱいです。トベラの花からは甘い香りが漂っています。
■足元にはヤブコウジ、テイカカズラ、ベニシダ、イタチシダ、ヤブラン、ジャノヒゲなどの草本植物が確認できます。
■高木林内の亜高木や低木は一般に陰樹と言われ、高木層の樹冠から漏れる散光で生育します。日陰にも耐えられる植物なのです。
■自然の森は、上から順に高木層、亜高木層、低木層、草本(下草)層、場所によってはコケ層から構成されており、垂直的に緑の壁を形成していることがわかります。
■植物も小さい時には競り合いながらの「密度効果(density effect)」によって共生し、成長するにしたがって「自然淘汰(natural selection)」に直面しながらも、種の特性(能力)に応じて高木層、亜高木層、低木層と垂直的にすみ分けしながら多層群落の森を形成します。自然淘汰によって枯れた木も、林床で土壌生物群によってゆっくりと分解されて養分となり、木々の成長を助けます。(宮脇昭著『森の力—植物生態学者の理論と実践』2013年 講談社現代新書 p15-16)
このように宮脇さんの手にかかると《潜在自然植生の常緑広葉樹の森》の様子は神奈川県の整備マニュアルが言う「林内が暗いため、下層植生が貧弱」という記述とは正反対になってしまいます。それにしても、宮脇さんの「では実際に森の中に入ってみましょう」で始まる森の様子を私たちは「実際に」見ることができるのでしょうか。
実は、これと同じような鬱蒼とした《潜在自然植生の常緑広葉樹の森》の見事な見本が私たちの身近なところにあります。明治神宮の杜です。植樹からそろそろ百年を迎えようとしている神宮の杜は、ヒトの手を入れずに自然に任せ続けた結果、植樹当初に半数以上を占めていた針葉樹や落葉樹はすっかり衰退してしまい、現在では土地本来の自然の植生である常緑広葉樹を主木とした《高木層、亜高木層、低木層、下草層という土地本来の森の立体的な構成》を再現しています。
宮脇さんは神宮の森を「先人たちが知恵を絞ってつくった人工の森の世界最高傑作のひとつ」 (宮脇昭著『森の力 植物生態学者の理論と実践』講談社現代新書 p175)と最大級の言葉を使って紹介しています。およそ100年の歴史を持つこの森 は《奇跡の森》とも言われ、私の備忘録でも《潜在自然植生》の森の様子を伝えたいときには、うってつけの見本としてたびたび登場してもらうなどして、大いに活用させてもらって いる次第です。
(この稿続く)