シリーズ4回目の今日は、標高800m以下の区域での落葉広葉樹の森林整備の具体的な内容を整備マニュアルから紹介しながら、対象となる落葉広葉樹林のヒトの手による整備は今だけの短期間のものなのか、それとも広葉樹林である限り半永久的に続くものなのか?ということを考えてみます。
薪炭林=落葉広葉樹林の発達した階層構造とは?
関東以西の標高800m以下の《潜在自然植生》は常緑広葉樹であることから、この区域での薪炭林=落葉広葉樹林は、定期的にヒトの手が入ることによって初めて成立したのですが、仮にヒトが管理することなく自然のままに任せると、その後の落葉広葉樹林どうなるのでしょうか。
宮脇さんは《雑木林も、これから150年、200年かければ現在林内にまれに見られるシイノキ、タブノキ、カシ類の芽生えや幼木が大きくなり、土地本来の森が再生するはずです》(宮脇昭著『木を植えよ!』新潮選書p28)と、自然遷移によりいずれは常緑広葉樹林へと生まれ変わるとアッサリ予言しています。
確かに、この備忘録には何度も登場してもらった《神宮の森》を見ると、植樹から100年近く経過した現在では、林相の変遷を追ってみても明らかなように、ヒトの管理を止めてしまった森は、次第に《潜在自然植生》である常緑広葉樹が優性を占めるようになっており、宮脇さんの上の記述は的を得ているようにも思われます。
そこで、神奈川県が進めようとしている《自然遷移の手法で薪炭林を階層構造の発達した落葉広葉樹林にする》ことは可能か?という本題に戻りますが、森林管理の分野での具体的な整備内容をマニュアルから写し取ってみることにします。基本的には自然遷移としますが、階層構造の発達した落葉広葉樹林を実現するための手助けとして、必要と思われる林相にはオプション的に様々な整備を行うとしています。
整備項目の冒頭に挙げられるのが、下層植生の生育を助ける目的で行う《受光伐》。そこで目標とする《階層構造の発達した落葉広葉樹林》の豊かな下層植生や林床植生とはどのような樹種を指し、理想とする《高木から草本植物までの多層群落》はどのような樹種で構成されるものなのでしょうか。この視点から整備マニュアルに出てくる樹種を探してみると、クヌギ、コナラの高木についで登場するのはジャケツイバラ、アケビ、サルナシ、ツルマサキ、テイカカヅラ、ツルアジサイ、キヅタ、イワガラミなどツル性植物の伐採の要・不要の記述があることと、シカの食害に関連した下草やササ類の刈り払いについて触れているだけのようです。
上図が受光伐のイメージイラストですが、これが多層群落を示したものなのか、高木の幼木と草本だけの組み合わせを表現するものなのか、釈然としません。ここからは、とても(神宮の森が実現したような)豊かな階層構造を思い浮かべることができませんが、ツル性植物のことしか触れられていないのには、主に二つの理由があるように思われます。一つ目は、ツル性植物以外の樹種は階層構造を豊かにするものとして、間伐・受光伐・つる切り・植栽・仮払・除伐などの整備の対象から除かれるものだから樹種名を列記する必要はないこと。二つ目はツル性植物が落葉広葉樹林にとって厄介な存在だからです。そこで、落葉広葉樹林とツル性植物の厄介な関係を宮脇昭さんの著書に再度語ってもらいます。
手入れが必要な雑木林
しかし、現在みなさんが目にする森のほとんどは、土地本来の自然の森とはおよそかけ離れたものです。・・・(途中略)・・・次いで、各地の里山に見られるいわゆる雑木林です。最近では一種の流行のように、里山の雑木林に多くの人の関心が注がれています。関東以西にある落葉広葉樹の二次林である雑木林は、化石燃料や化学肥料などない時代に広く利用されていました。木炭や薪をとるため15〜20年に一度伐採し、また田んぼに入れる肥料や牛小屋に敷く草をとるために2、3年に一度下草狩り、落ち葉掻きをするなど定期的な管理をすることにより維持されてきました。地球上の常緑広葉樹林帯全体からみれば、日本列島は北に位置しています。したがって、定期的に行われる伐採によって常緑樹の再生力が衰えてきます。そこに、本来はもう少し高所や北方に自生していた落葉広葉樹のコナラ、クヌギ、エゴノキ、ヤマザクラなどが育成するようになりました。関西では針葉樹のアカマツ、中国地方以西では落葉広葉樹のアベマキも含まれます。大雑把ながら定期的に人間の手が入ることによって、里山の雑木林が成立しているのです。
このような落葉(夏緑)広葉樹林であるクヌギ—コナラ林、すなわち雑木林は、1930年代からイギリスの落葉広葉樹林を研究していた a.g.タンスレイも言っているように、垂直的にうまく太陽の光エネルギーを使うために、林の下から春が来ます。日本では、春先にまずカタクリやキンラン、ギンランなど林床の植物が花を咲かせ、次にツツジの類など低木が花をつけます。
関東では四月半ばになると、高木層のコナラ、クヌギ、エゴノキなどの梢の先が薄いねずみ色になり、ついで萌黄色、五月の末ともなると、濃い緑色になって、多くは目立たない花を咲かせます。雑木林は秋に落葉するので、林床に光が入って明るい空間ができます。そのために、草原の植物、例えばススキ草原の構成種やマント群落の構成種が入ってきます。マント群落とは、川や草原などの解放地と森との境にある「林縁群落」のことです。本来の森の植物とは異なり、まるで森にマントをかぶせたようにツル植物のクズやカナムグラ、サルトリイバラ、低木のウツギ、ニワトコなどがその周囲を囲みます。自然に近い森が破壊されると、本来は林縁で森を守っていたはずのマント群落の構成種やさらに関西以西ではネザサ、関東ではアズマネザサなど草原性の植物が林内に入り込み森が荒れた状態になります。
一見、雑木林の構成種数は多いように見えますが、一時的に色々な植物が入ってきてヤブ状になっているにすぎません。(宮脇昭著『木を植えよ!』2006年 新潮新書 p24-27)
以上のように、秋には葉を落とすため林床が明るくなる結果、ツル性植物が林内への侵入を繰りかえそうとします。ツル性植物が侵入に成功すると林内はヤブ化してしまうようです。なので、整備マニュアルがツル性植物の伐採について特に詳しい理由はよくわかります。従って標高800m以下の地域で、もともと潜在自然植生でもなく人工的に作られてきた薪炭林=落葉広葉樹が毎年秋になると落葉を続ける限り、少なくともツル性植物の伐採という《受光伐》など整備作業は永遠に続くことになりそうです。
上述の整備マニュアルでは《林内の照度不足により、下層植生が乏しくなっていると判断された場合は、高木の密度を下げ、林冠にギャップを作り、林内の照度を高めることを目的として、受光伐を行》うとしているのですが、林内の照度を高めることにより、ますますツル性植物の侵入が容易となり、整備負担もその分増大するのではないかと、心配です。
《潜在自然植生》の常緑広葉樹林の多層群落とは?
他方、この地域の《潜在自然植生》である常緑広葉樹の森に目を移すと、豊かな多層群落を構成している場合は高木層に加えて、例えば下図のように、亜高木層+低木層+草本層からなる多くの種類の樹種に囲まれた植生が広がっています。
そこで次に丹沢・大山山系にはどのような植生が拡がりを見せているのでしょうか。人工林を除いて実際の群集・群落を神奈川県のウェブサイトにも掲出されている『丹沢大山総合調査学術報告書』(2007年)から写し取ってみましょう。この報告書は丹沢大山の自然の再生を主な目的として、丹沢の動植物や水・土の環境評価から丹沢に住む人びとの暮らしにいたるまでを網羅的に調査した膨大な量と詳細なデータから構成されており、大変貴重な資料です。
(続く)