宮脇昭さんの『鎮守の森』(新潮文庫 2007年)には巻末資料として《全国鎮守の森30選》が載っています。自然植生の森が残っている全国の神社やお寺 の鎮守の森の中でも特に状態が優れたものベスト30ですが、神奈川県内では、横浜市南区の円覚寺と逗子市の神武寺の二つが選ばれていま す。両方ともにスダジイ林のようで、ドングリの実が落ちるこの季節にぜひ行って、その優美な自然の姿に触れてみたいものです。
ところで、神奈川県下全体では、鎮守の森はどんな状態なのでしょうか。最近は私も、何とか宮脇理論でもって森や林を見ることができるようになったため、近くの神社や寺の木々は、これは自然植生ではない!ことにすぐに気付いてしまう訳ですが、宮脇さんはこの本の中で次のように嘆いています。
今、その土地本来のふるさとの木によるふるさとの森、鎮守の森がどのくらい残っているか。私の住んでいる神奈川県は、全国のわずか百五〇分の一ほ どの狭い県土に人工は八八〇万人を突破している(二〇〇七年一月現在)。横浜市はおよそ三六〇万人(二〇〇六年九月現在)。人間が増えることがその県や市の発展だとすれば、東京に次いで発展していることになる。しかしそれと反比例するように鎮守の森は激減している。私たちが神奈川県教育委員会の依頼で一九七〇年代に現地調査した結果では、すでに高木、亜高木、低木、下草がそろった、すなわち最低限の森の生態系が維持されているよう な鎮守の森は、たった四〇であった。かつては二八五〇あった鎮守の森が、戦後わずか三〇年たらずで激減したのである。(『鎮守の森』新潮文庫版 p19-20)
多層群落を形成する鎮守の森が2,850→40という激変ぶりは、これをパーセンテージに表してみると、残っている割合は以前のわずか1.4%たらずであり、常識的に考えると、この1.4%はやがて消えてなくなってもおかしくない数字です。おそらく今までに消えていった森のほとんどが宅地に生まれ変わっているのだと思われますが、神奈川県のような人工密集地では鎮守の森は、早晩こうしてなくなってしまうのでしょうか。
これが本当だとすると、都市空間や生活空間にも潜在自然植生の森をつくる事業を始めるという構想はますます緊急の課題として現実味を帯びてきそうです。宮脇理論では「本物の森」は厳しい環境下でも成長し、管理コストも最小限に抑えることができます。また、森の主木となる常緑広葉樹は深根性や直根性に優れているため、単なる景観上のメリットだけではなく台風、地震、火災、洪水などの都市災害からも私たちの命を守ってもくれます。
そこで、宮脇さんが調べられた40の社寺をぜひとも知っておきたいものだと、神奈川県のウェブサイトに入ってみると、それらしいpdfファイルの調査報告書をみつけることができました。これを発見したのは随分前のことで、今となっては格納場所も正式なファイル名も不明なのですが、幸いにもダウンロードしたものがあるので、この報告書から40社寺について紹介してみたいと思います。
調査対象の社寺は199で「これらの社寺林について、その自然度や面積、保全状況などを総合的に検討し、A、B、C、Dの4ランクに区分された」(同資料 p155)との記述があり、このランクAが『鎮守の森』で触れられた最低限の森の生態系が維持されている40の鎮守の森になります。では、ランクAの評価 基準は、具体的にはどういうものでしょう。
その地域の潜在自然植生が顕在化された自然度の高い森林植物群落がまとまった面積を持つ社寺林を形成している。高木層から草本層にいたる各階層の発達が良 好であり、林床が破壊されていない。森林の面積は群落が持続するための十分の広さがあり、林内に裸地もなく、土壌攪乱が少ない。森林全体の保護状態が良好 であり、“ふるさとの森”としての価値がきわめて高いと評価される社寺林である。(同資料p155)
と定義付けして、40社寺のリストが続きます。ここでちょっと引っかかったのは『鎮守の森』で全国版ベスト30にランクされ、冒頭で述べた神奈川県の二つの社寺のう ち、円覚寺の名前が40社寺には見当たらないことです。円覚寺がある横浜市南区伏見町は昔の寺町で、多くの寺が並び、近くには横浜でも比較的大きな規模の墓地が拡がっている所でもあります。念のためにgooglemapの航空写真で円覚寺とその周囲を見てみたのですが、住宅地に囲まれたこの地域には社寺林 と言えるような緑は存在しないようです。なので、ひょっとすると同じ円覚寺でも正しくは、庭園の奥に暗い森が続く鎌倉の、あの円覚寺なのではないでしょうか。
《神奈川に残る鎮守の森(2/2)》に続きます。