宮脇昭さんは『木を植えよ!』(新潮選書 2006年)という私にとっては極めて実践的で教科書とも思えるような彼の著書の最後のページで、次のように読者に語りかけています。
ここまで本書を読んでくださった皆さん、どうか、あなた自身が生き延びるため、あなたの愛する人、隣人の遺伝子を未来に保障するために、今すぐどこでも、誰でもできるいのちを守る行動として、本気で木を植えてください。
幅が1メートルでも、自宅の小さな庭でも森づくりはできます。台風、地震、大火、さまざまな人間の活動によって破壊された荒廃地でも大丈夫です。死んだ材料である鉄、コンクリート、石油化学製品でできている、いわゆる工場砂漠や都市砂漠にも、土地本来の森が失われてしまっている山にも、森をつくることは可能です。
・・・(途中略)・・・
まだ一度も木を植えたことのない皆さん、ぜひ一度、だまされたと思って植えてみてください。単なる趣味の木ではなく、いのちを守る本物の樹種を植えてください。大きな木を植える必要はありません。大きくなる力をもった、その土地の潜在自然植生の主木の幼苗を植えればよいのです。(『木を植えよ!』新潮新書 2006年 p214-p215)
上の引用文の《土地本来の森が失われてしまっている山にも、森をつくることは可能です》とあるのを読んだ時に、これは今の丹沢のことを指していると、ピンとくるものがありました。前段部分は編集者が後で情緒的なフレーズを付け加え、琴線に触れるような表現にしてしまったような可能性はありますが、中段から後段部は紛れもなく、宮脇さんの気持ちを吐露したものです。もちろん、人工林に覆われた山のことを《土地本来の森が失われてしまっている》と言って半ば否定している訳ですから、林業に関わって努力している人びとや人工林の荒廃をなんとか食い止めようと、森の再生に携わっている自治体やボランティアの皆さんには、まるで分野違いのことのように聞こえるかもしれませんが、私には、幾つか考えられている山の森を保全・再生する手法の一つとして、宮脇さんの思いは多くの人にも共有可能な強い説得力を持つものだと思えるのです。
スギやヒノキなどの木材を産出する林業というビジネスが日本では困難になり、それに伴って管理不足に陥った人工林の荒廃が表面化、今も現在進行形のままに、全国的な規模では状況はより深刻になっています。
これに対して行政レベルでは、住民の暮らしや経済活動を支える基本的な資源としての水を安定的に供給する立場から、危機感を持って水源地域の森林整備に取り組りくむようになりました。
雨水を蓄え、きれいな水を少しずつ川に流すという森林の水源涵養機能を守るための、水源林の保全・再生事業もその一つですが、私の住む神奈川県でも長期的な事業計画のもと人工林の間伐やシカの食害から下層植生を守る植生保護柵の設置・シカの管理捕獲などをすすめた結果、徐々にですが、森林再生の効果が表れてきているといいます。同時に、水源の森林づくりには県民の協力も欠かせないとして、広く県民参加を呼びかけたことで、ボランティア活動も年を追うごとに活発になっているようです。
これらメインストリームとしての森林再生に携わる行政や県民のボランティア活動に加えて、ビジネス的な手法で森林再生の一翼をほんの少しでも担うことができないかと、第三の新しい道を模索しようとするのが、この備忘録の一貫したテーマでもあります。
具体的には冒頭の宮脇さんの言葉のように、今までの木材を産出するための林業とは対極にあると言っても過言ではない、その土地に昔から自生し、その土地の環境に適応した植物群落を意味する《潜在自然植生》の樹種を植える、例えば標高800m以下の丹沢地域ではシイ・タブ・カシ類などの常緑広葉樹の苗木を、顧客を見つけてきてビジネスとして植樹するという、今までにない新しい事業の開発です。この備忘録では、素朴な机上の夢想の一端を一年以上にわたって書き綴ってきたのですが、そろそろネタも尽きかけてしまったようで、今後は、これまでその問題と困難の大きさから回避してきた具体的な事業プランの作成に取り掛かる必要を自覚するようになりました。
放置され荒廃してしまった人工林を含めた山の森林を再生するには、基本的に二つの方法があると私には考えられます。一つは、すでに神奈川県など行政が進めている間伐など人の手による人工林の管理を再開 し、森林の下層植生を豊かにすることで、森を再生するという方法です。これは今まで労力を費やしてせっかく育ててきた人工林を守りな がら、森の保全・再生を図ろうとする、現在では主流となる施策でもあるのですが、すべての人工林がこの方法で救われるわけではありません。神奈川県の場合は林道から500m以上離れた区域にある人工林についてはその保全・再生を諦めており、間伐などの手入れは行うが、あとは《自然力を利用して》広葉樹を導入し、混交林化を進めようとしています。針葉樹と広葉樹が混在する環境下では、神宮の森が証明しているように、本来その土地に自生していなかった針葉樹はいずれは広葉樹との競争に負けてしまい、次第に姿を消していくため、広葉樹が優勢となる森へと変容を遂げることになります。
繰り返しになりますが、このように行政が進める第一の方法では、すべての人工林が救出され《植樹→間伐→伐採》の持続する循環がこれからも続く訳ではありません。
例えば、神奈川県は県が抱える人工林(31,800ha)を下図のように50年後にはおよそその半分は混交林にするという構想をたてています。
そして、混交林に誘導する手法としては《自然力により》そうするのだということですが、自然の植生を一度は解体し、そこに人為的に針葉樹だけの単層の森を一面に敷き詰めた環境下に、果たして自然力の種子がどれほど残っているのか、微妙な問題です。かつてこの備忘録でも宮崎県や徳島県で行われているこれと類似した実験的な試み《自然力による》混交林の作り方について触れたことがあります。これらの事例を見た限りでは、誘導域の近くに自然の植生が残っていれば、可能性はあるが、傾向としてバラツキが見られ、この手法は大変難しいというものです。しかも自然の遷移に委ねることから、果たして何年経てばバランスのとれた混交林が出来上がるのか、心もとない印象を受けた覚えがあります。
そこで、その間隙を縫うようにして登場するのが、私が考える第二の新しい手法。人工林の一角を空けてもらい(標高800m以下であれば)その土地の潜在自然植生の主木となる常緑広葉樹をはじめとした多層群落を構成する樹種の苗木を計画的に植樹し、徐々に常緑広葉樹の林のエリアを広げていくというものです。
少しは人工林を残すとしても、それらは広葉樹との競争に負け次第に姿を消してしまい、最終的には100%の潜在自然植生の森をつくることになるこの植樹法はこれまで私の学習を兼ねたためにしつこいほど、しかも何度となく備忘録には書き足してきたために、ここでは割愛しますが、特に常緑広葉樹が持つ人工林にはない、いくつかの特長については、もう一度ここで押さえておきたいと思います。
- 植樹後、3〜4年間は雑草刈りなどの手入れが必要だが、それ以降は自然に任せて成長する。
■ - これまでの国内の事例からすると、主木は10年で10m、20年で20mの割合で成長する。
■ - 多層群落を一度作ると、森のシステムは半永久的に安定して持続する。
■ - 高木の広葉樹をはじめとする多層群落の森は、生物多様性に満ちた豊かな環境を自ら作る。
■ - 広葉樹は深根性・直根性に優れており雨、風、地震、火災などの災害にも強い。
■ - 自然の森の腐植質に富んだ林床が貯水・水質浄化などの高い水源かん養機能を備えている。
■ - それは同時に生きた溜池ともなり、洪水や土砂の流出を防止する。
■ - 川や海に流れ込むこれらの森の水はミネラルや有機物を含み、海の生物を養う栄養供給源。
■ - 忘れてならないことは、広葉樹の肉厚の葉がより二酸化炭素を固定しより酸素を放出する。
以上のように、人工林にはない多くの特長を備えた、その土地本来の環境に適応する潜在自然植生の森を、疲弊した林業に替わる山の森を再生する一つの方法として、これからは事業としての視点から少しずつ考え、展開してみたいと思っています。
(この稿未完)