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ふるさとの森づくり専門家研修に参加する3

npo法人国際ふるさとの森づくり協会(ReNaFo)主催の講座&現場実習《ふるさとの森づくり専門家研修》3日目の最終日は、会場を初日と同じ横浜市開港記念館に移しての4講座+植生工学士の資格取得試験というカリキュラムでした。

午前中はReNaFo理事長高野さんの、この日の私には最も印象的だった講義に始まり、続いて《地球の緑を育てる会》というその志のとてつもない大きさを思わせる名称を襷にかけたようなnpo法人理事長のエネルギッシュな活動報告にはビックリするものがありました。(そういえば、ReNaFoもその法人名に国際という単語を付けており、高野さんの志も名称では決して負けてはいないようです。)

午後の講座は横浜国大名誉教授の2つの講義を拝聴することができました。1つは環境保全林が果たしている環境保全の機能を実際に測定することで、その数値化を試みるという大学の先生ならではの専門領域を見聞きするという貴重な体験を味わうことができました。専門研究とは何か?その深さを考えさせられたということでしょうか。2つ目の講義では、横浜国大名誉教授がさらに専門領域の深い所まで私たちを連れて行き、常緑広葉樹林が育む豊かな生態系を証明してくれるという《ダンゴムシ》の日常生活を紹介してくれたのです。この辺りから昨日の植生実習の疲れも手伝って、私は鳴き声も出さないダンゴムシの静粛な世界にスヤスヤと半分入りかけてしまったみたいなのですが。

以下は報告書としてのリアリティを優先するために、いつものデス・マス調を一時離れ、簡潔な表現を使うことにしました。

3thday高野2

311東日本大震災の、特に巨大津波と深刻な放射能汚染の2つは、それ以降の私たちの生活意識を大きく変えてしまうほどの決定的なダメージを日本社会にもたらすことになった。後者が紛れもなく人災であり、こんなものがなければ、その事故の恐怖と被害から私たちはすぐにでも解放される訳だが、自然災害だけは、それができない。この自然のただ中に産み落とされた人間とその社会にとって回避することが困難なことを改めて記憶に刻むことになったのである。

そこで、この被害を最小限に抑えようとする《減災》という考え方が出てくる。この日の最初の講座は、ReNaFo理事長の高野さんが災害と森との関係について、特に常緑広葉樹林が他の植生と比べて、(巨大地震が引き起こす)津波や火災などに対して持っている優位性のことを多くの事例を交えながら話してくださった。

すでに宮脇昭さんの本などでも、繰り返し語られているように、311ではコンクリートの防波堤やマツなど針葉樹林は巨大津波には全くと言っていいほど歯が立たなかったばかりか、津波で根こそぎ倒されたマツの巨木はその多くが波の流れに乗り、凶器となって人や家を次々に襲ったという。それは同時にコンクリート神話、針葉樹信仰が崩れた瞬間でもあった。

一方では事例数こそ少ないが、シイ、タブ、カシなどの常緑広葉樹は津波の一撃にも倒れることなく波の勢いを削ぎ、そして濁流に巻き込まれようとする多くの車両や家屋をそこで食い止めることができたことがわかってきた。また、震災後に発生する火災に対して、神戸・淡路大震災では常緑広葉樹が延焼を食い止める防火壁の役割を果たしたことも記憶に新しい。

などなど、これまで多くの予算を使って整備を重ねてきた国の防災の標準仕様が、実際にはほとんど役に立っていないという現象を、高野さんは土木技術と植生の両方の専門家として科学的に解明しようとする。その結果、彼は防災や土木の業界で標準となっている既成の考え方と対立することになるのだが、ぜひとも《緑の防潮堤》をはじめとした潜在自然植生の手法を防災の新しい標準の一つとして、その世界で一角を占めるようになってほしいと願わずにはいられない。そのための第一歩として、ReNaFoウェブサイトにもこの講座で用いたテキストレベルの詳しい情報を公開し、PRするなど《潜在自然植生》の賛同者を広く募るための、様々な工夫を期待したいところである。

石村

茨城県つくばみらい市に育苗のための本格的な圃場(ほじょう)を構え、筑波山では水源の森づくりのための針広混交林を困難な環境下で推し進め、森を荒廃から守るなど、他にはない幅広い緑の分野での活動が注目されているnpo法人《地球の緑を育てる会》の理事長が、石村さん。

この日、石村さんが紹介しょうとした活動はあまりにも多分野にわたったため、時間も足りなさそうだったが、最も私の印象に残ったのは、冒頭でも触れた針広混交林という手法での筑波山の水源の森づくりの物語だった。これまでの講義は、どちらかといえば環境保全林・防災保安林という私たち都市生活者の日常や社会インフラに直接関係するジャンルのものがメインだったようだが、実は森というのは圧倒的に山にあることを考えると、そして、日頃は私たちの目には見えないが(前回の備忘録でも最後にサケの遡上と森の密接な関係に触れたように)森の養分が全ての生き物の源であると言っても過言ではないことを思うと、水源の森づくりというこの分野に踏み込んだ勇気とその困難を乗り越えようとする志には脱帽するしかない。単に脱帽するだけではなく、私たちはいろんな方法で、様々な場所で彼女の精神を継いで行くことができるのではないかと、その可能性を思わずにはいられない。(この森と生き物との普遍とも言える関係は、この日の午後の講義で、もっとリアルに考えさせられることになる。)

そこで話しを元に戻すと、石村さんは荒廃する筑波山の森を見て、もちろん理想はストレートに《潜在自然植生》の森を誕生させたかったに違いないが、管理放棄され、荒れてしまった人工林をすっかり皆伐してしまうことはせずに、せっかく人々の努力でここまで育った人工林を(半分ほどだろうか?)残し、その管理を再スタートしながら、豊かな森を再生する手法として針広混交林を選ぶことになる。

まず、スギやヒノキの林を間伐し、伐採した樹木を土留めに使い、林床にゴロゴロしている大きな岩石も土留めとして並ばせて、新たな植樹スペースを確保することから始め、これまでの10年間で約3万本以上の常緑広葉樹の苗木を宮脇方式でもって植え、育てることができているそうだ。植樹後7年という現場の写真を見せてもらうと、すでに新しい常緑広葉樹の樹木が鬱蒼と茂り、森の原型が姿を現しているように思われる。そして所々にひときわ高いスギやヒノキの針葉樹が顔を見せているが、緑の勢いからすると、すでに主導権は常緑の広葉樹に握られている感がある。

これからさらに時が経過すると、標高877mの筑波山の針葉樹は次第に姿を消してしまい、神宮の森のように、最後には《潜在自然植生》としての常緑広葉樹が育む生物の多様性に満ちた豊かな森として再生することになるのだろうか。ぜひとも、どなたかに確かめてもらいたいものだ。

原田さんの講座のタイトル《ふるさとの森の機能》は、このフレーズをそのまま捉えると中学校の教科書のように聞こえてしまうが、原田さんのここでいう機能とは、人の生活空間、中でもその多くが企業用地で採用されている環境保全林の機能のことを指している。

この講義を拝聴しながら、私はこれまで環境保全林の機能としてはせいぜい下記のようにそれらの項目を羅列するだけで満足してしまい、ここで終わっていたことに気づいてしまう。原田さんは、これらの機能のそれぞれを測定し、数値化するレベルまで行っている。さすがにふるさとの森=環境保全林のプロフェッショナルである。

3erements

例えば、この機能一覧表の右端の上から7番目にある、環境保全林が果たしているという生物的機能の一つである《集塵》機能は実際にどのような方法で測定し、数値化するのかを原田さんは環境—生態系に関わるものの責務でもあるかのように、淡々と語ってくれるのである。

そこには、物事のその奥にあるのかも知れない本質を追い詰め極めようとする、私には残念ながら備わることのなかった明晰な頭脳と学者精神ともいうべきものがあるようだ。彼ら学会の皆さんは、思い思いに物事を専門化=細分化し、細かく切り刻んだその一つ一つの断片の中の芯のようなものに迫ることで、一見それぞれが無秩序に専門領域を作ってしまい、智は分断されてしまったかのように見える。ところが、少し角度を変えて俯瞰してみると、一つの循環する地上の生態系の大きな物語を、彼らは共同して紡いでいることがよくわかるのである。

原田2

二時限目の原田さんのお話を拝聴していると、私は宮脇昭さんの著作のなかに次のような文章があったことを思い出してしまう。

木を植えよ!s山や陸地と川や海の間には、養分をはじめとした生態系の循環があるからです。山に豊かな自然の森があれば、落ち葉などの有機物が土壌生物によって分解されてゆっくりと水に溶け出し、有機物を含んだ豊かな水が下流へと流れ、それをえさとして植物性プランクトンが繁殖します。それらをミジンコなど少し大型の動物性のプランクトンが食べ、それをさらに幼魚や小魚、小エビが食べ、次にそれをより大きい魚が食べる—食物連鎖といわれる循環システムです。言い換えれば、森が海の魚や海産物を育て、増やし、保証しているといえます。……トータルシステムとしての自然を考えるとはいうことはこういうことです。(宮脇昭著『木を植えよ!』新潮選書  p58)

この引用文中ある、豊かな自然の森で見つけることができる《土壌生物》はトータルシステムのなかで不可欠な役割を担っているものだが、ここでいう自然の森とは、高木—亜高木—低木—草本の多層群落で構成された常緑広葉樹の森を指し、このような環境下で初めて、地表の植物だけではなく、土の中のカビ、バクテリア、ダニやミミズなどいろんな生物(動物)が共生する豊かな生態系が育まれることになるという訳である。では、環境保全林などヒトが人工的に作る擬似的な自然の森にも、このような豊かな生態系は可能なのか?可能だとすると、多様な種類の土壌生物(動物)はどうやって現れるのか?あるいは彼らはどこからやってくるのか?という疑問に原田さんは応えようとする。

原田さんは土壌生物(動物)を対象とした生態調査を川崎の扇島や熱海にある環境保全林で持続的に取り組んでいる。ダニやミミズ、ダンゴムシをはじめとした動物群数と群組成、それら個体数、現存量そして臨床堆積有機物量などの調査の結果、土壌生物(動物)による自然の豊かさの評価を可能にするという。ヒトが作る環境保全林にも、実は自然の豊かさという視点から観察すると、出来&不出来が歴然とあるらしいのである。

更に興味深かったのは、講義の後半で土壌生物(動物)のなかからダンゴムシだけを調査対象に選び、その生態分布の詳細を語ってくれたことである。実はダンゴムシにも全く性格が異なるいくつかの種類があり、したがって分布状況も同じ森、公園の中でも好みの環境ごとに分布が大きく異なっており、かなりの偏差が見られるという。つまりそれぞれに好ましいとする環境があるらしいことがわかり、環境の変化に応じてダンゴムシもそれぞれゾロゾロと、てんでバラバラに移動することになる。この環境の変化は自然条件の移り変わりが少しは影響することもあるが、その出現や移動の多くはヒトの干渉によるものであることがわかってくる。特に環境保全林などの擬似的な自然の森では、植樹から時間の経過と共に少しずつダンゴムシが現れてくる。その多くはヒトが意図せずに彼らの手によって遠くから(ダンプカーなどで)運ばれてきた結果、居心地が良くて住みついてしまったことによるだが、もちろんヒトの手によらずに、近くの公園からやってきた移住組もいるのかもしれない。

自然の森は《生命》を守る自立した循環装置(宮脇さんの言葉を借りると、トータルシステム)であると言われるが、このような微生物を含めた土壌生物(動物)群の働きを突き詰めていくと、植物はもちろん動物が生き延びていけるのは、彼らの存在が大きな役割を担っていることを再確認しないわけにはいかない。つまり自然の環境がバランス良く整っている森であるためには、地上の目に見える多層群落の樹木と同じように、地中では土壌生物(動物)群が、地球の生態系の循環システムの重要な鍵の一つを握っているという訳である。上記に書き写した宮脇さんの文章を土台に、森の土壌生物(動物)を主人公にした循環図を作ってみた。

循環装置いつも石の下や物陰に隠れるように生活している小さなダンゴムシだが、原田さんのダンゴムシについての逸話が私に教示してくれたのは、彼らの生活の向こう側に見える上の図表のような地球規模の大きな循環する世界である。ここでは、眼に見える自然の森の樹木は、大きな世界のほんの入り口の役割でしかなく、実は私たちが直接見ることができない森の林床すれすれから地下数十センチ〜数メートル?の場所で、激重要な営みが成功裡に実行されている訳で、この図表を眺めていると、こっちの地下の世界の方が主人公であるような気にもなってくるのである。

とはいえ、私は生態学マニアではなく、出来立てホヤホヤながらも一応、老植生工学士である。その植生の supervisor としての立場からこの世界を表現するとしたら、やっぱり私は(これまで何度か使ったものだが)樹木にコストを割いてくれる顧客へ訴求するような下図で行きたい。

空地海2

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という訳で、以上、3回にわたっての専門家研修会の私的な報告を試みてみた次第です。最後に、潜在自然植生の頂点を極めるというこの3日間の体験を一言でまとめてみると、《机に向かって宮脇さんの本ばっかり読んでないで、もうそろそろ実践でしょ!》という魂の内なる叫びを聞くことができたということでしょうか。

最後に。ReNaFoの皆様、ありがとうございました。

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