npo法人国際ふるさとの森づくり協会(ReNaFo)主催の講座&現場実習《ふるさとの森づくり専門家研修》2日目のカリキュラムは三浦半島の葉山町にある湘南国際村センターでの1)実施事例調査と2)植樹実習。広大な敷地を持つ湘南国際村センターには広々とした林や森が拡がっており、自然をこよなく愛でる多くの団体や組織の皆さんがそれぞれのやり方で、苗木を植えているところでもあり、この区域全体が植栽の実験場みたいな印象を持ってしまいました。
今日はその中でも、これまでこの地でReNaFoの皆さんが行った植栽事例の観察と実際にポット苗を宮脇方式で植えてみる実習経験について、全く個人的な感想を記録してみることにします。
これまで、宮脇昭さんの手による植生例は植栽後20〜30年を経過し、すっかり環境保全林としての基本を形成したものを幾つか見に行ったことはあるが、今回の研修のように、植樹後1年、2年、3〜4年、10年と時系列で、時間を追うようにして、その成長する景観の実際を観察できたのは初めての、何ものにも変え難い濃密な経験だった。しかし同時に、いかに私が初心者でしかなかったかを自覚してしまった一日でもあった。加えて、会場となった湘南国際村センターは、その広い敷地が植生の実験場としての様相を見せてくれてもいて、宮脇方式の《潜在自然植生》混植・密植法と他の植栽法の違い、特に植樹後の景観の違いも、実際に観察することができ、ReNaFo理事長の、かなり控えめな解説、とりわけ植樹法の比較については他者を批判しないという態度にもかかわらず、ますます《潜在自然植生》が持つ圧倒的な優位性を強く確信することができたのである。
そこで、全体から見ると、初心者レベルのごく一部分にすぎず、大事なポイントを見落としていると指摘されそうだが、私には興味深かった場面の幾つかを写真で紹介してみようと思う。
以上、《潜在自然植生》の実際を植樹の時系列で見て回りながら、他の手法での植樹とその経過を比較観察することもでき、これまでには得がたかった体験に時が過ぎるのも気付くことなく、植生の専門家の皆さんの輪の中で彼らの説明に理解できたり、できなかったりしながら、湘南国際村センターの森の至福を楽しみことができた。
そして、植生の実験場のようなこの場所で改めて思ったことは、ヒトは何のために(ここまで来て)樹を植えるのか?!という問いでもある。この日の午後は、わずか3m×4m=12㎡の面積に過ぎないが、実際に宮脇方式による混植・密植の現場実習が用意されており、そこで、私は何故、苗木を植えるのかを改めて自問自答してみることになる。
それでは、植樹の様子を振り返ってみる
この時の植樹は研修の一環としての時限実習だったため、面積はわずか12㎡と大変狭いスペースに過ぎなかったのだが、山の斜面での植樹を想定したものだったため、私のようなビギナーの、それも老骨にムチ打つような老人にとってみると、結構大変な作業だったことを告白しなければならない。さっそく、その時の汗をかきながらの作業プロセスを写真*で振り返ってみる。
将来、おそらく東京ドームの数倍という広大な山の斜面を相手に、宮脇方式による《潜在自然植生》の植樹を行うことになる、その日に向けての第一歩になるはずのものでもある。
■
■
■
サケを育った川まで誘導してくれるという森の豊かさとは何か?実際にその森に入ってみると、彼らにはすぐにその意味がわかるような気がした。下の写真(左)は、かつて植林され今は管理放棄されてしまった結果、荒廃の極みのようにも見える水源域の人工林の姿。スギやヒノキばかりが一律に植えられた山は、地盤が弱くなり、保水力も落ちていることがよくわかる。人工のものは、一旦ヒトの手が離れてしまうと、写真のような有様になってしまうのである。これに対して写真(右)は20年前に彼らが植樹した場所の景観。20年前に植えたカシやシイなど10種類の(常緑)広葉樹が森を作り、しっかりと根を張っているという。
■
人は何故、樹を植えるのか?———ここでは、その答えは自信を持って見つけることができる。
上の写真は遠賀川に戻ってきたサケの群れ(あるいは、放流されて元気に泳ぐ稚魚の群れか?)。これまで、例えば、その海が豊かな漁獲量を誇る三陸の漁師たちが、その収穫も東北の森の恵みによるものとして、いつも海の方を向いているはずの彼らが、背中の方角に位置する三陸の山々の自然の大切さを語っている場面に会ったこともあり、また、宮脇昭さんの書物を読むことで、科学的な視点での森と生態系の循環する関係を机上で学ぶことはできたのだが、生活上の必要から具体的な課題としての生き物と森の関係を知ることで植生の重要性を教えてもらうようなことは滅多になく、一時間の番組中このパートはわずか5分ほどのものでしかなかったが、私にとっては、大変貴重なものだったことを最後に付け加えておきたい。