原始自然保存区ができればいい

日本の名随筆21《日本の名随筆》というシリーズ名の本があります。今から30年ほど前の1980年代中頃から、作品社というお堅い出版社によって刊行され続け、現在では200巻を超えるほどの寿命の長い刊行物になっています。タイトルには一巻ごとに『花』や『命』などといったシンボリックな漢字一文字(101巻以降は『自然』とか『家族』などの二文字)が選ばれ、この漢字に関係する短いエッセイなど各界で活躍する著名人(と言っても、そのほとんどは作家・評論家・学者などの知識人)のものを30作品ほど集め、それぞれまとめたものとなっています。

私も折に触れて、関心のあるタイトルの面白そうなものを購入し続けていたら、いつの間にか十冊ほどが本棚に並んでしまいました。左はその中の一冊、今西錦司さん編集による第21巻『森』。森や林についての、いろんな話が様々な分野の人たちによって綴られています。今日は、その中から興味深いページをいくつか紹介してみましょう。

自然林は放っておくとジャングルになる、という言説を考えてみる。

「自然は、つまり、守るもんでしてね」

と老爺さんはいった。「わたしらは、子供のじぶんから教えられたんです。山は放っておくとつるばかしになる。毎日、つる刈りに歩かないかん‥‥‥つるはあんた、良木をいじめる怪物です。放っておくと山はジャングルですわ」よくきいてみると、老爺さんの歎く点は、開発会社やお役人さんの自然観に原因している。

なるほど樹を刈ったままでは山野は荒れるから、植林も叫ばれているし、無軌道な乱伐も監視されて、自然林がのこされている所もあるのだが、その自然林なるものが、放っておいてはダメだという点にあった。(同書p12水上勉『木挽き話』)

この話を読むと、ここに出てくる《自然林》とはどんな植栽の森林を指しているのかが、大変気になります。老爺さんが言うジャングルが《ヤブ化》のようなものだとすると、先日の備忘録でも宮脇さんの書から引用したように、雑木林などの二次林に特有の現象なのかもしれません。雑木林の主木である落葉広葉樹は、秋になると葉を落としてしまうため、林内に陽の光が差し込むようになり、本来は林縁で森を守っていたはずのツル性植物が林内への侵入を繰り返すようになるというのです。この部分をもう一度、引用してみます。

木を植えよ!s手入れが必要な雑木林

しかし、現在みなさんが目にする森のほとんどは、土地本来の自然の森とはおよそかけ離れたものです。・・・(途中略)・・・各地の里山に見られるいわゆる雑木林です。最近では一種の流行のように、里山の雑木林に多くの人の関心が注がれています。関東以西にある落葉広葉樹の二次林である雑木林は、化石燃料や化学肥料などない時代に広く利用されていました。木炭や薪をとるため15〜20年に一度伐採し、また田んぼに入れる肥料や牛小屋に敷く草をとるために2、3年に一度下草狩り、落ち葉掻きをするなど定期的な管理をすることにより維持されてきました。

地球上の常緑広葉樹林帯全体からみれば、日本列島は北に位置しています。したがって、定期的に行われる伐採によって常緑樹の再生力が衰えてきます。そこに、本来はもう少し高所や北方に自生していた落葉広葉樹のコナラ、クヌギ、エゴノキ、ヤマザクラなどが育成するようになりました。関西では針葉樹のアカマツ、中国地方以西では落葉広葉樹のアベマキも含まれます。大雑把ながら定期的に人間の手が入ることによって、里山の雑木林が成立しているのです。

このような落葉(夏緑)広葉樹林であるクヌギ—コナラ林、すなわち雑木林は、1930年代からイギリスの落葉広葉樹林を研究していた a.g.タンスレイも言っているように、垂直的にうまく太陽の光エネルギーを使うために、林の下から春が来ます。日本では、春先にまずカタクリやキンラン、ギンランなど林床の植物が花を咲かせ、次にツツジの類など低木が花をつけます。

関東では四月半ばになると、高木層のコナラ、クヌギ、エゴノキなどの梢の先が薄いねずみ色になり、ついで萌黄色、五月の末ともなると、濃い緑色になって、多くは目立たない花を咲かせます。雑木林は秋に落葉するので、林床に光が入って明るい空間ができます。そのために、草原の植物、例えばススキ草原の構成種やマント群落の構成種が入ってきます。マント群落とは、川や草原などの解放地と森との境にある「林縁群落」のことです。本来の森の植物とは異なり、まるで森にマントをかぶせたようにツル植物のクズやカナムグラ、サルトリイバラ、低木のウツギ、ニワトコなどがその周囲を囲みます。自然に近い森が破壊されると、本来は林縁で森を守っていたはずのマント群落の構成種やさらに関西以西ではネザサ、関東ではアズマネザサなど草原性の植物が林内に入り込み森が荒れた状態になります。

一見、雑木林の構成種数は多いように見えますが、一時的に色々な植物が入ってきてヤブ状になっているにすぎません。(宮脇昭著『木を植えよ!』2006年 新潮新書 p24-27)

かなり長い引用になってしまいましたが、宮脇さんの文章を再読してみると、 ヒトの手が入らなくなった雑木林が次第にヤブ化し、荒れていくプロセスがなかなか説得力あるストーリーで記述されています。しかし、老爺さんの指す《自然林》が常緑広葉樹林である可能性はないのでしょうか。常緑広葉樹林の事例は、この備忘録では頻繁に顔をだす神宮の森をはじめ、宮脇さん方式で植樹されて20〜30年以上経過し、森としての基本を形造るようになった《潜在自然植生》の数多くの森を思い浮かべることができますが、ここではもう一度、宮脇さんの著作から常緑広葉樹林の様子についての記述から引用してみましょう。

30年後の「ふるさとの森」に入ってみよう

タブノキなどの高木が太陽の光のエネルギーを吸収しているために、森の中は薄暗くなっています。

薄暗い中でもモチノキ、ヤブツバキ、シロダモなどの亜高木と呼ばれている木々が育っています。ヒサカキ、マサキ、アオキ、ヤツデなど、海岸近くではトベラ、シャリンバイ、ハマヒサカキの低木も元気いっぱいです。トベラの花からは甘い香りが漂っています。足元にはヤブコウジ、テイカカズラ、ベニシダ、イタチシダ、ヤブラン、ジャノヒゲなどの草本植物が確認できます。

高木林内の亜高木や低木は一般に陰樹と言われ、高木層の樹冠から漏れる散光で生育します。日陰にも耐えられる植物なのです。・・・(途中略)・・・水際や草原などの開放空間と接する林縁では森の番兵に会うこともできるでしょう。林縁を裾模様のように覆うのが「マント群落」と呼ばれているもので、キブシ、ウツギ類などの低木やツル植物のエビヅル、クズ、ツルウメモドキなどが該当します。さらにその外側には「ソデ群落」と呼ばれているヤブジラミ、ヤエムグラなどが細い帯状に草本群落をつくっています。

強い風や光が急に林内に入ると林床が乾いて森がピンチになります。そうならないように、林縁ではマント群落やソデ群落が帯状に取り巻いているのです。(宮脇昭著『森の力—植物生態学者の理論と実践』2013年 講談社現代新書 p15-17)

上記の記述から、常緑広葉樹林内は陰樹と呼ばれる樹木で構成されており、ツル性植物はこの森林を守ってくれるマント群落として太陽の光がよく当たる林縁に植生するものであることがよくわかります。つまり自然の多層群落を形作っている常緑広葉樹林であれば、ヒトの手が入らなくてもジャングルになることもないという訳です。

これらのことから、老爺さんのジャングル化する自然林とは、雑木林などの二次林を指している可能性が高いようです。

今西錦司さんは原始自然保存区ができればいい、と言った。

この日本の名随筆シリーズ第21巻『森』の編纂をした生態学者・今西錦司さんは本の最後に彼の森についての興味ふかい思いを綴っています。少しだけ引用してみましょう。なお執筆は1975年、今から40年ほど前のものであることを念頭にお読みいただけると幸いです。、1975年といえば、ちょうど宮脇さんがポット苗を使った常緑広葉樹の環境保全林作りを新日本製鐵の大分製鐵所で行い、《潜在自然植生の森》が注目され始めた頃でしょうか。

常緑広葉樹林の理想的な分布地域にある山

常緑広葉樹林の理想的な分布地域にある山、そして山麓から山頂まですっかり常緑広葉樹に包まれたような山。そのような山はもっと南方にゆけばいくらでもあることだろう。・・・(途中略)・・・山の高さはあったほうが、よいにきまっている。高さがあれば森林帯の変化があるからおもしろいともいえる。ところでこのおもしろさがほんとうにわかり、それをほんとうに味わうためには、その森林帯の一つ一つについて、それが複合するまえのまじり気のない理想的な—あるいは類型的な—ところをつかんでおく必要がある、というのもまた一つの考え方であるまいか。・・・(途中略)・・・

原始自然保存区ができればよい

・・・一つの解決策は、原始的な山を保全することだろう。国立公園とか天然記念物とかいうことが叫ばれ、あるいは民間でそういう叫びが起こらないにしても、国のほうが先手を打ってすでにある程度まで法律化せられている。しかし、国立公園といえばいたずらに設備を完備し、ドライブウェイと国際観光ホテルの建設を念願し、天然記念物といえばこれまたいたずらに国宝的な、小規模な自然の骨董的保存に専念しているのが現状である。

その中間を行くものとして、たとえば原始自然保存区といったものが考えられないだろうか。アメリカではこれはすでに着手しているのである。国立公園も天然記念物も、どうせ日本人の創案によるものでないことは申すまでもない。どうせ物まねなら原始自然保存区もひとつ問題にしてみたらどうだろうか。さいわいにも最奥の部落から4キロとへだたぬところに、こうした原始林が今日まで保存されていたのである。営林署の方針はよくわからぬが、この原始林も日本経済の再建のために伐開して、いずれはスギの植林にしてしまうつもりだろう。先祖代々伝わった家宝を売りとばして、その金をもっと有利な方面にまわそうというのである。

戦争にまけたいまとなっては、一家の経済も一国の経済もかわりはない。すこしでも金のよけいにとれるように工夫しなければ、経済は成りたってゆかないのである。それは十分にうなずける。しかしできることなら、日本のなかで代表的な模範的な常緑広葉樹の森林、落葉広葉樹の森林、あるいは常緑針葉樹の森林といったものを、たいした面積は要求しないから、原始自然保存区としてのこしておいてもらえないだろうか。
・・・(途中略)・・・
この原始自然保存区というのは、国立公園でも、天然記念物でもない。それは演習林の中に天然更新試験地という立て札がたっている場所を拡大したようなものであって、いっさいの人工を排除し、天然自然のままに国土の一角を保存しておこうをいうのである。だからもちろんドライブウェイだの観光ホテルだのといった施設を許さない。そこへはいるものは許可を要し、許可をとっても、もちろんそこではテントをはるかゴロ寝するか、近代人としてはもっぱら虐待された生活に甘んじなければならないのである。
・・・(途中略)・・・
われわれの泊めてもらった事務所は木の香も新しいはずだ。ここへ移って以来まだようやく1月にしかならないという。だから周囲の山々がまだ鬱蒼とした原始林のままであることにも、なんの不思議もなかった。この原始林はしかしこれから30年のあいだに開発されるのだという。おそらく来年ここへ来るひと、あるいは数年後にここへ来るひとは、もうわれわれと同じ印象を受けることはできないであろう。

わたしの原始自然保存区説は、こうしたシチュエーションのもとに生じた感傷が手伝っていたかもしれない。こんなところに、最奥の部落からたった4キロはいったばっかりのところに、こんな純粋な原始林がこの昭和の世の中にのこされていたという感傷が。けれどもこうした原始林は、いまとなっては国有林ならこそ残っているのだ。だから国家にしてその気があるなら、原始自然保存区をつくるぐらいのことは、わけのないはなしである。と思う—日本全国にせいぜい5、6カ所の理想的な原始自然保存区をつくるぐらいは。(同書p243-249今西錦司『常緑広葉樹林の理想的な分布地域にある山』)

いまの日本には(原生)自然環境保全地域 があるが、

今西錦司さんが描いたイメージとはかなり異なりますが、環境省のウェブサイトには《(原生)自然環境保全地域》のページがあり、自然環境保全法という法律や都道府県条例に基づいて、自然環境の保全や生物の多様性の確保のために指定された地域についてのコンテンツを見ることができます。ほとんど人の手の加わっていない原生の状態が保たれている地域や優れた自然環境を維持している地域として、全国で5か所の「原生自然環境保全地域」、10か所の「自然環境保全地域」または「都道府県自然環境保全地域」が指定されています。

が、これらの指定区域はブナの天然林で全国的に名の通った白神山地自然環境保全地域など、高標高域の自然が好まれるのか、主に高山性の針葉樹やブナに代表される落葉広葉樹林が名を連ねています。唯一、鹿児島県の肝属郡肝付町、錦江町、南大隅町に拡がる《稲尾岳自然環境保全地域》が、まとまって残存している照葉樹林として指定されています。「世界的にみても希少な林型」なのだそうです。稲尾岳近辺にはイスノキ、ウラジロガシを主体とした林分から、標高が増すにつれてアカガシ、ヒメシャラが混在し、さらにモミを主体とした林分が発達し、これらの天然林には野生動物も豊富に生息しているとされています。詳細は環境省のサイトを参照してください。

(続く)

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