森を再生するビジネスを夢想する

これから書き始めようとしている備忘録の類いは、一つの夢物語にしか過ぎないのですが、ビジネスという手段を使って丹沢の森を維持・管理するという漠然としたアイデアのことでもあります。もちろんそれが成功する自信もまったくなく、いわば一人の夢想者の幻に終わってしまいそうな予感が最初からしているのですが、にもかかわらず、せっかくのアイデアなのだから、この事業プランについての独白を少し綴っておくのも悪くはないと思い、こうしてあたふたと机に向かっているのです。

自らひらめいたこの事業プランに自信が持てない最大の理由は、こんなことは、丹沢に関わる多くの先人たちがとっくの昔にゴミ箱に投げ捨ててしまったレベルのもので、今さら提案する価値のまったくないような笑い話に終わるのではないかという不安からきています。この私の悩みは、ジャンルこそ全く異なるとはいえ、作家大江健三郎さんの若き日の告白と似通ったところがあると思われるので、私の気持ちを落ち着かせるために、ぜひとも紹介させてください。

ぼくが小説を発表しはじめたとき、いつも心にかかっていたのは、これはすでに戦後文学者がのりこえた問題でないか?という不安だった。それはとくに、政治とセックスについてそうだった。あの、中国とか治安維持法とか、軍隊とか、二・一ストとかパンパン風俗とかを悠々と体験してきている小肥りの暗い顔つきの怪物たちは、いま、平和な時代のガラス箱のなかで育ったぼくが考えついた地獄など、すっかり書きつくしてしまっているのではないか?
そして疑心暗鬼のぼくは戦後文学を読みかえし、戦後文学者と同席するときは耳をすませた。(大江健三郎『厳粛な綱渡り』p183)

大江さんのこの不安は「ぼくが小説を発表しはじめたとき」だから彼がまだ20歳代前半の頃だと思われます。私の不安と共通するところは「これは、すでに手垢がついてしまっているのではないか」というその一点だけであり、もうすでに65歳になってしまった老人の私が、不安をかかえながら、漠としたビジネス・アイデアごときものをじっとして持っているのだから、それだけでも笑止の域を通り超えて悲哀の至りであるのかもしれません。しかし、私は、恥をしのんでのことだが、これから、この課題に心を寄せている多くの人に、この私のアイデアを見てもらいたいと思っているのです。
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